2019/09/14

ルグランダン、愛すべきスノッブ

『失われた時を求めて』を読みながら

ルグランダン Legrandin は『失われた時を求めて』に登場する人物。口では貴族を弾劾しておきながら、内心、彼らに憧れてやまないルグランダン。気取り屋でスノッブでまあいけ好かない人物なのだけれど、どこか憎めない。ルグランダンがみせるような心得顔の目配せ、ほのめかし、言外の暗示など、そういう行動を認める心性は、あながち悪いものとは言えないように思う。
もちろん、そういうふるまい自体に価値があるのではなく、その先にある本来の高貴さだとか礼儀正しさというもののほうが重要なはずなのだが、残念ながら、ルグランダンは真の高貴さも礼儀正しさも持ち合わせていない人物として描かれている。そうではあるけれど、彼なりに、そういう心性に価値が見出していることは、認めてやっても良いのではないだろうか。(小説では結局、彼にとって憧れの的である上流階級の人々は、noble だとか decency といったものなど持ち合わせていなかったことが露見する。)

今日、率直さとか誠実さといった言葉を隠れ蓑に、身も蓋もなくあけすけで何でもかんでも白日の下にさらすのが善しとされるような風潮(「ぶっちゃけ」)があるなかで、ルグランダンの「奥ゆかしさ」には化石なみの希少価値があるように思う。貴族に嫁いだ妹のことをどうにかして白状させてやろうと彼に詰め寄る語り手の父を前にして、なんだかんだとはぐらかすルグランダンに、少し表現はおかしいかもしれないが、「いじらしさ」さえ感じる。

ちなみに、語り手の母が、重篤の叔母を看病するためにコンブレーに戻るという場面がある。その間、語り手はパリの自宅で恋人との同棲生活にうつつを抜かしているのだが、あにはからんや、母を手助けし、病人の看病のために親切かつ献身的に尽くしてくれたのは、ほかならぬルグランダンであった。「スノビスムは心の重大な病であるとはいえ局所的な病変で、心の全体まで蝕むわけではないのだ。」

〔参考〕プルースト『失われた時を求めて 10 囚われの女 I』吉川一義訳(岩波文庫)
〔画像〕Stéphane Heuet « À la recherche du temps perdu 6. Noms de pays : le nom  », Delcourt, 2013