tag:blogger.com,1999:blog-19799830190670653912024-03-23T19:14:15.629+09:00Le Blog SibaccioEugênio Sibacciohttp://www.blogger.com/profile/08757808329934071133noreply@blogger.comBlogger33125tag:blogger.com,1999:blog-1979983019067065391.post-79555443122069365862023-10-17T22:01:00.003+09:002023-10-18T09:18:48.398+09:00シムノン『罰せられざる罪』(小説のイントロダクション)1926年、日に日に寒さが厳しくなる時季のリエージュ。この町の大学に通う留学生エリ・ヴァスコヴは、ランジュ夫人の家に下宿している。ランジュ夫人は戦争で夫をなくし、娘のルイーズと二人きりだが、生活のためにエリをはじめ外国人の学生を家に受け入れている。エリは下宿代を安くしてもらう代わりにランジュ夫人の家事を手伝ったりするものの、夫人との会話はいつも素っ気なく、できるだけ人との関わりを避けているように見える。ほかの下宿人と親しく交わろうとすることもない。だが、ランジュ夫人の家の台所は、いつもストーヴの火が燃えており、彼にとって何よりもの「隅っこ coin」、唯一安らぎを与えてくれる居場所であった。エリの孤独な振る舞いに眉をひそめつつも彼のことを家族のように気にかける夫人、そして彼の醜い容貌(本人はそう思い込んでいる)にも嫌悪することなく接してくれるルイーズ。出身地Eugênio Sibacciohttp://www.blogger.com/profile/08757808329934071133noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1979983019067065391.post-68715650955041189062023-08-12T11:00:00.016+09:002023-10-17T21:37:43.158+09:00シムノン『ちびっこ三人のいる通り』 «La Rue aux trois poussins» (ちびっこ三人のいる通り)はシムノンが書いた短篇の一つ。第2次世界大戦中の1941年に «Gringoire» という週刊新聞に掲載された後、1963年に同作を表題にした短篇集に収録、出版された。物語の冒頭、陽の光がまばゆく感じられる午前中、三人の小さい子どもが道端にしゃがみこんで遊んでいる様子が描かれる。「頭を下げ、お尻は空のほうにつきだし、脚を開いている。三羽のひよこが餌をついばんでいるよう。」歩道の水浸しになった敷石の隙間をほじくり返し、どうやら大運河の建設工事にいそしんでいるらしい。ところが、そのうちの一人ビロに、不気味な影が射して......無邪気な子どもの一言が状況を一変させる、取り返しのつかない事態に追い込むといった話はほかの小説にもありそうだが、そこはやはりシムノン。衝撃的な破局とまではいかないまでも、Eugênio Sibacciohttp://www.blogger.com/profile/08757808329934071133noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1979983019067065391.post-67175396791623150222023-05-03T18:00:00.040+09:002023-10-17T21:37:52.122+09:00シムノン『伯母のジャンヌ』「あんたは何をしようとしてたの?」「何でもよ。わたしは自由な女になりたかった。自惚れてたのね」 (小説のイントロダクション)ジャンヌ・マルティノーは成人になった21歳<!--(*)-->の誕生日に家を出て以来、生まれ故郷に戻ることがなかった。父親の葬式にも姿をみせず、彼女はフランソワ・ロエルという男とともに駆け落ち同然で南米に渡ったと思われていた。57歳になった今、ジャンヌは郷里近くの都市ポワティエの駅に一人降り立つ。彼女は疲労困憊している。人生の重みに耐えきれなくなりつつあり、終の住処を探している。家業を継いでいる弟のロベールに頼ろうと故郷のポン=サン=ジャンまで戻ってきたのだが、すぐに実家を訪れる勇気はなく、橋を渡った向こう側にある宿に泊まる。宿では寄宿学校時代で一緒だったデジレに再会し、甥のジュリアンが交通事故で最近死んだことを知らされる。翌日、ジャンヌは決心して実家の戸Eugênio Sibacciohttp://www.blogger.com/profile/08757808329934071133noreply@blogger.com2tag:blogger.com,1999:blog-1979983019067065391.post-44354821196935602112023-04-15T18:00:00.040+09:002023-10-17T21:38:07.028+09:00シムノン『ヴェネツィアからの列車』そのとき彼の目の前には現実の光の中で、この状況のグロテスクなこと、起こったばかりのことすべてがグロテスクで、ヴェネツィアから乗った列車以来起こったことも、要するに彼の人生も、そしておそらく他人の人生もグロテスクなことが明らかになった。 (小説のイントロダクション)ジュスタン・カルマールは妻と子どもたちとともにヴェネツィアで夏のバカンスを過ごしていたが、仕事でパリに戻るため、まだ数日滞在する家族を残して一人列車に乗る。車中のコンパートメントで見知らぬ男と相客になる。普段とはちがって、男に自分のことを多く語ってしまい、丸裸にされたような恥ずかしさを覚える。ジュスタンは男からミッションと呼ぶべき頼み事をされる。途中スイスのローザンヌで2時間の乗換え待ちの間に、指定する住所にスーツケースを届けてほしいというのである。しかも、そのスーツケースはローザンヌ駅のコインロッカーから取り出してEugênio Sibacciohttp://www.blogger.com/profile/08757808329934071133noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1979983019067065391.post-91421736213637557922023-04-08T18:00:00.084+09:002023-10-18T17:18:32.384+09:00シムノンの「運命の小説」一覧シムノンはメグレ警視シリーズ以外にも多くの小説を書いており、シリーズものではない一連の作品は「ロマン・デュール romans durs」と呼ばれています。文字通りに言えば「硬い小説」ですが、«dur» は形容する言葉や文脈によって「厳しい」「難しい」「抵抗のある」「耐える強さがある」などの意味にもなり、そういったニュアンスをさまざま含んでいるのかもしれません。ほかに「運命の小説 romans de la destinée」という呼び方もあります。メグレが「運命の修繕人 raccommodeur de destinées」と呼ばれているところに由来しているのかもしれません。こちらのほうがイメージに結びつきやすく、一連の小説から受ける印象にも合っているように感じます。シムノン自身は「ロマン・ロマン romans romans」と言っていたそうです。フランスで出版されている全集の収録数によるとEugênio Sibacciohttp://www.blogger.com/profile/08757808329934071133noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1979983019067065391.post-90272463667877059692023-04-01T18:00:00.070+09:002023-10-18T17:22:14.812+09:00『失われた時を求めて』の架空地名 バルベック編(コンブレー編からのつづき)バルベックとその周辺バルベック Balbec (①36(*))は、青年になった「私」が夏の数ヶ月を過ごす保養地で、英仏海峡に臨むノルマンディー海岸に位置するという設定です。主要なモデルとなったのは、リゾート地として有名なカブール Cabourg で、プルーストも第1次世界大戦が始まるまでの7年間、毎年ここで夏を過ごしました。第2篇《花咲く乙女たちのかげに》の後半(岩波文庫版の第4巻)から本格的に登場し、パリに次ぐ小説の主要な舞台になっています。(*) 地名に付した丸数字と数字の組み合わせは、岩波文庫版『失われた時を求めて』における初出箇所を示しています。①120 は第1巻の120ページ、といった具合です。《バルベックにかかるいくつかの名》バルベック=プラージュ Balbec-Plage(浜辺、グランドホテル Grand-Hôtel のあるところ)...④37Eugênio Sibacciohttp://www.blogger.com/profile/08757808329934071133noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1979983019067065391.post-71891614213915001032023-03-25T18:00:00.048+09:002023-10-18T17:21:53.325+09:00『失われた時を求めて』の架空地名 コンブレー編プルーストの『失われた時を求めて』にはコンブレーやバルベックなど、架空の地名が多く出てきます。プルーストがこれらの地名をフランス語でどのように綴っているのか、翻訳で小説を読んでいると見過ごしがちなので、ここにまとめてみようと思います。コンブレーとその周辺 コンブレー Combray (①31(*))は主人公の「私」が少年時代に春から夏にかけての休暇を過ごした田舎町。フランスの北東部シャンパーニュ地方に位置するという設定ですが、町の様子や風景の描写には、パリ南西100キロにあるイリエ Illiersとその一帯に広がるボース平野 La Beauce が想い起こされます。ちなみに、イリエはプルーストの父親の故郷で、プルースト生誕100年の1971年にイリエ=コンブレーと町の名が改められています。(*) 地名に付した丸数字と数字の組み合わせは、岩波文庫版『失われた時を求めて』におけるEugênio Sibacciohttp://www.blogger.com/profile/08757808329934071133noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1979983019067065391.post-74623035363510597162023-03-18T18:00:00.088+09:002023-10-17T21:38:30.584+09:00シムノン『万聖節の旅人』(小説のイントロダクション)19歳の青年ジル・モーヴォワザンは、旅芸人の両親とともに各地を巡業していたが、ノルウェーに滞在中、不慮の事故によって両親をいっぺんになくす。万聖節(*)の前夜、ジルは両親の故郷ラ・ロシェルに到着する。船から降りる際に抱き合っているカップルを目撃し、若い娘の印象が脳裡に焼きつく。(*) 諸聖人の日とも。キリスト教において全ての聖人と殉教者を記念する日で、カトリックでは11月1日。その翌日は「死者の日」(万霊節)で死者の霊を祀る記念日。フランスでは万聖節は祝日に定められており、この時期に近親の墓参りをする習慣があるそう。ジルは母の姉妹をたずねようとするが、彼には叔父もいた。父の兄弟であるオクターヴ・モーヴォワザンは輸送業で成り上がった金持ちであったが、4ヶ月前に死んでおり、ジルはその莫大な遺産の相続人であった。相続にあたっては、ユルスュリーヌ河岸にある邸宅に若いEugênio Sibacciohttp://www.blogger.com/profile/08757808329934071133noreply@blogger.com2La Rochelle, France46.160329 -1.15113917.850095163821152 -36.307389 74.470562836178843 34.005111tag:blogger.com,1999:blog-1979983019067065391.post-44204713752423044882023-02-18T18:00:00.108+09:002023-10-18T17:49:27.592+09:00シムノン『メグレと消えたミニアチュア』(シャトーヌフから来た公証人)[メグレは]おもむろにパイプに新しい葉を詰め替え、火をつけた。それから開いていた窓へ歩み寄っていった。下方の小径に、小石が美しく光っているのが見えた。「そうだ、あんないい小石をどこで手に入れたのか訊かなければ」メグレ引退する舞台はパリでもなければ殺人事件も起こらず、刑事連中などお馴染みの顔ぶれも現れない。メグレがロワール川近くの別荘で過ごしている情景から物語は始まる。バカンスの季節。様子からして、メグレはのんびりしたこの暮らしにすっかり身を浸しているようだ。そこへ不意に、シャトーヌフから一人の男がメグレを訪ねてくる。蒐集品が盗まれ困っているという。「引退なさったのにお邪魔して恐れ入ります」......(*) (*) 邦訳では「休暇中」としているが、原文で読む限り、メグレはすでに退職している。*** シリーズには、メグレがご隠居さんになっている作品がいくつかある。本書のEugênio Sibacciohttp://www.blogger.com/profile/08757808329934071133noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1979983019067065391.post-469193884039859682022-12-17T18:00:00.087+09:002023-10-17T21:36:13.356+09:00謎のデポルシュヴィル嬢『失われた時を求めて』を読みながら そこには、デポルシュヴィル嬢 Mlle Déporcheville と書いてあったが、私はそれを難なく d'Éporcheville と訂正することができた。第六篇《消え去ったアルベルチーヌ》岩波文庫, p.322『失われた時を求めて』の第六篇《消え去ったアルベルチーヌ》(《逃げ去る女》)に、「デポルシュヴィル嬢」なる人物が登場する。主人公の「私」がデポルシュヴィル嬢と出くわし、彼女の正体が判明するまでのこの場面が、私は何となく好きだ。箇所は、岩波文庫版で第12巻の320頁から346頁までのあたり。小説を注意深く読んでいれば、彼女が一体誰なのかはすぐにでも分かると思うが、私のようにぼんやりした読者は「アルベルチーヌ亡き後の新たな恋人か?」などと心が少し躍るかもしれない。ブーローニュの森で散歩中の「私」は「三人の娘の一団」を見かけ、そのうちのEugênio Sibacciohttp://www.blogger.com/profile/08757808329934071133noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1979983019067065391.post-48524237993903472722022-07-31T18:00:00.093+09:002023-12-29T13:28:45.349+09:00バシュラール『夢想の詩学』何ごとも起らなかったあの時間には、世界はかくも美しかった。私たちは静謐な世界、夢想の世界のなかにいたのだ。夢想の復権 「夢想」という語には、眠っているとき(無意識の状態)に見る夢のことと、目覚めているとき(意識のある状態)の空想のことの両方の意味を含むようですが、バシュラールは後者、私たちが気ままに思い描ける空想、絵空事のほうの意味で本書のなかで用いています。フランス語の «rêverie»(夢想)も、辞書には類語として «rêve»(夢)のほかに、«imagination»(想像力・空想)、«chimère» «fantasme»(幻想、幻覚)といった言葉が示されています。バシュラールは夢について、「夜の夢はわたしたちのものではない。それはわたしたちの所有ではないのである。それはわたしたちを誘拐する者であり、数ある誘拐者のうちでも、もっとも面食らわせるような誘拐者である。それEugênio Sibacciohttp://www.blogger.com/profile/08757808329934071133noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1979983019067065391.post-25434462602123244522022-02-06T18:00:00.070+09:002023-12-17T22:53:49.685+09:00モンテーニュ «Les Essais» の訳題近頃はこの表題をそのまま『エセー』と片仮名に置き換える方式が好まれているが、日本語で読む読者のことを考えると、これは一考を要する訳題ではないかという気がしないでもない。 (菅野昭正)(*1)(*1) 堀田善衛『ミシェル 城館の人』(集英社)巻末の解説よりモンテーニュの «Les Essais» の全訳が『随想録』の題名で初めて出版されたのは、昭和10年(1935年)のことです。その際、この作品にどのような訳題を付けるのが良いのか、翻訳者の関根秀雄はモンテーニュ自身の叙述を思い出しながらあれこれと思案したそうですが(そのあたりの経緯は、白水社版『モンテーニュ全集』の解説などで触れています(*2))、何よりもそれは、これからモンテーニュを読もうという一般読者を考えてのことでした。(*2) 文末の〔参考〕を参照。当時、「エッセイ」や「エセー」といった言葉は、日本ではまだそれほど浸透しEugênio Sibacciohttp://www.blogger.com/profile/08757808329934071133noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1979983019067065391.post-34792948356993864882021-09-23T12:20:00.032+09:002023-11-18T19:04:24.192+09:00フランス心理小説の系譜【心理小説】人間内部の心理の動きに焦点をあて、その分析、観察を主眼とする小説。社会の成員としての人間を外側から描写する写実小説と対比される。フランスにおいて特に発達した小説の一ジャンルで、人間の心理、ことに恋愛心理の微妙なあやを克明に分析し、彫琢された簡潔な文体で記述するのが特徴。作中人物の心理の動きに焦点を当て、その観察・分析を主眼とする小説。コトバンクより抜粋フランスには、人物の内面に焦点をあてた心理分析的な小説の伝統があると言われます。現代にまで連なる心理小説として、嚆矢にはラ・ファイエット夫人の『クレーヴの奥方』が挙げられ、その系譜は18世紀以降も受け継がれています。実際のところ、心理小説とは何かという明確な定義があるわけではないようで、文学史のなかでも、時代を横断した形で「心理小説」と項目立てて、分類・特化した記述はあまりないようにみえます。ここでは文学史の書物を参考にしながらEugênio Sibacciohttp://www.blogger.com/profile/08757808329934071133noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1979983019067065391.post-7429423531852966342020-06-28T20:30:00.001+09:002023-10-18T17:43:53.574+09:00メグレ警視シリーズ完読計画
メグレ物が、今日人気がある警察小説に与えた影響は、計り知れない。メグレ物の長所は、推理の手際の良さ、雰囲気描写と登場人物の心理描写の妙味にあるといえるが、しかし最大の魅力は、なんといってもメグレ警視その人にあるといえるだろう。
(長島良三)(*)
(*)シムノン『メグレ警視の事件簿 1』偕成社文庫の解説より
メグレ警視シリーズ(長短合わせて103篇)の完読を目指しています。意外にも? メグレ警視シリーズはすべての作品が翻訳されているのですが、ほぼ絶版の状態です。そのため、できるだけ地元の図書館で借りて読みつつ、所蔵されていなかった数冊は、古書や電子書籍を買いました。電子書籍では30冊弱が刊行されています。ただ、古本の価格がやたら高いものや雑誌に掲載されたきりのものなどについては、フランス語で読んでいます。本当はすべての作品をフランス語で読みたいところですが......以下、まだ読Eugênio Sibacciohttp://www.blogger.com/profile/08757808329934071133noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1979983019067065391.post-85445359923925767122020-04-18T20:40:00.064+09:002023-11-18T18:28:19.690+09:00ラ・ロシュフコー『マクシム』 (4)わたしは他人から与えられるものほど、そのために報恩という名目で自分の意志を抵当に入れなければならないことほど、高価なものはないと思う。 『モンテーニュ随想録』第3巻第9章より(関根秀雄訳)
恩誼について
ラ・ロシュフコーは恩誼(恩義)や義理について、次のようなことを言っている。
ほとんどみなの人たちが小さな義理を返したがる。たくさんの人たちが中くらいな義理に対しては感謝の念を抱く。だが、大きな恩恵に対しては恩知らずのふるまいに出ない者はほとんどない。(格言299)
恩を受けておきながら、一度もその恩に報いることがないのは忘恩の徒以外の何ものでもないだろう。とはいうものの、命を救ってもらったとか、人生の重大事を助けてもらったなど、恩誼が大きければ大きいほど、そのお返しをするというのはたいへん難しいものである。
われわれは人から恩をこうむると、その人からどんなにひどいことをEugênio Sibacciohttp://www.blogger.com/profile/08757808329934071133noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1979983019067065391.post-85323720211902137722020-03-21T20:59:00.014+09:002023-10-17T21:45:03.677+09:00ラ・ロシュフコー『マクシム』 (3)
虚栄の種類はとても数えつくせない
ラ・ロシュフコーの人間をめぐる考察では、各翻訳書の索引にみるように、さまざまなテーマが扱われている。おそらく自愛・自己愛 « amour-propre » こそが、その著作におけるもっとも中心的な旋律なのだと思うが、私はほかに、虚栄・見栄っ張り « vanité » のモチーフにも惹かれる。
きょえい【虚栄】①実質の伴わない、外見だけの栄誉。②うわべだけ飾って、自分を実際より良く見せようとすること。みえ。「虚栄を張る」「虚栄の巷」
きょえいしん【虚栄心】みえを張りたがる心。
(広辞苑)
人との会話、他人の身なりや振る舞い、テレビやインターネットなどのメディアから聞こえてくる意見やコメント、書籍やブログ記事といった文章の類にいたるまで、世の中のあらゆるところで人びとの虚栄を見出すことができる。とはいえ、私が人びとの言動や挙動から虚栄をEugênio Sibacciohttp://www.blogger.com/profile/08757808329934071133noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1979983019067065391.post-37801924258630740782020-02-29T20:30:00.019+09:002023-10-17T21:44:41.716+09:00ラ・ロシュフコー『マクシム』 (2)
ラ・ロシュフコーの翻訳
(翻訳において)いたずらに見慣れないことばを用いたり、自分だけにしか通用しない造語を用いることはよくないが、いいかげんに平凡な日本の慣用語を用いて、くだけた練れた訳文だと自負することもよくない。なんと言っても日本語本来の語彙だけでは(仏教用語でもかりないことには)、モラリストの思想は完全に翻訳できない。
(関根秀雄)
ラ・ロシュフコーの『マクシム』には、多くの翻訳がある。私には、1998年にリクエスト復刊で出た白水社の『ラ・ロシュフコー 格言集』がたいへん良い(もともとは1949年、1962年に出版されたもの)。ラ・ロシュフコーの肉声に最も迫っているように感じられる。単にフランス文学の翻訳家であるというだけでなく、国文・漢籍の教養を背景にしつつ(*1)、モンテーニュを中心に一貫してモラリスト文学を研究した人としての言葉選びには、すぐれた的確さや趣きEugênio Sibacciohttp://www.blogger.com/profile/08757808329934071133noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1979983019067065391.post-43215530959062440342020-02-22T20:30:00.009+09:002023-10-17T21:44:24.238+09:00ラ・ロシュフコー『マクシム』 (1)
ラ・ロシュフコーの一撃
ラ・ロシュフコーのマクシム(格言・箴言)は、われわれにとって心強い武器である。自分を取り巻く世界を正しく観察するための術にも、世の中の偽善や欺瞞、あるいは悪徳に対抗するための手段にさえにもなると思う。ラ・ロシュフコーの言葉それ自体、相手・敵の急所を一撃に突くことのできる力を秘めている。
だが一方で、これは、まさに言葉どおりの「諸刃の剣」にもなることも忘れてはいけない。相手・敵とは、必ずしも他者とは限らない。言うまでもなく、それは自分自身にもあたる。日々の暮らしで野放しにしている自己愛を筆頭に、高慢、虚栄、嫉妬、弱さなど、ラ・ロシュフコーは、他者だけでなくわれわれの心内にも容赦なく襲いかかってくる。人間観察の対象は、他者と自己との両方なのだ。
世の多くの人がだまされている、いな自分自身もよくだまされたがる、われわれの行為の奥底にもぐりこみかくれている利己心やEugênio Sibacciohttp://www.blogger.com/profile/08757808329934071133noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1979983019067065391.post-41402787245817526362020-02-15T21:02:00.017+09:002023-10-18T17:47:24.850+09:00シムノン『メグレと謎のピクピュス』(署名ピクピュス)
明日、午後五時、占い師を殺す。署名:ピクピュス。8月、暑い盛りのある日、不動産会社に勤務するジョゼフ・マスクヴァンという男が、カフェでこの殺人予告を見つけたという。しかも彼は会社の金を横領したと警察に出頭してきたのである。ピクピュスとは誰か? どの占い師のことか? 起こりそうもなく動機も見当たらないこの犯罪は何のためなのか? 馬鹿げていると思われるものの、メグレは敢えてパリ市中を警戒させる。彼は、きっと殺人が起こるだろうと予期するにいたる。実際、それは発生する。マドモアゼル・ジャンヌなる占い師が、自宅の私室で短刀で刺殺されたのだ。そして部屋の隣には鍵のかかった台所があり、そこにはこのような季節に外套を着た老人が、椅子に静かに座ったまま、閉じ込められていた。その老人、オクターヴ・ル・クロアゲンはただじっと待っている。彼は犯罪について何も見なかったようだが、事件のことを知りひっそりと涙するEugênio Sibacciohttp://www.blogger.com/profile/08757808329934071133noreply@blogger.com2tag:blogger.com,1999:blog-1979983019067065391.post-25597109837460457022020-01-04T21:01:00.008+09:002023-10-17T21:36:32.376+09:00オデットはジュピアンの...
『失われた時を求めて』を読みながら
しかしフォルシュヴィル男爵夫妻は、このように一見間違っているように見えるにもかかわらず、その名前が記されていたのは、たしかに新婦の側であって、カンブルメールの側ではなかった。これはじつはゲルマント家とは関係なく、ジュピアンとの関係ゆえであり、事情に明るい本作の読者はご存じのようにオデットはジュピアンの従姉妹だったからである。
第六篇《消え去ったアルベルチーヌ》岩波文庫, p.575
オデット(スワン夫人)... 元粋筋の女(ココット)。スワンの死後、フォルシュヴィル伯爵と再婚。ジルベルトはスワンとの間にできた娘。
ジュピアン ... ゲルマント館の中庭のチョッキの仕立屋。シャルリュス氏と関係を持った。その姪は、シャルリュスの世話でオロロン嬢の称号を獲得。
ジュピアンの姪は、シャルリュス男爵の養女オロロン嬢としてカンブルメール家に嫁Eugênio Sibacciohttp://www.blogger.com/profile/08757808329934071133noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1979983019067065391.post-72768945385520238022019-12-07T21:00:00.010+09:002023-10-17T21:22:35.439+09:00おずおずとした楕円形の黄金の音色が...
『失われた時を求めて』を読みながら
夜、家の前の大きなマロニエの下で、私たちが鉄製のテーブルを囲んで座っていると、庭のはずれから聞こえてくる呼び鈴が、溢れんばかりにけたたましく、鉄分をふくんだ、尽きることのない、冷んやりする音をひびかせる場合、その降り注ぐ音をうるさがるのは「鳴らさずに」入ろうとしてうっかり作動させてしまった家人だとわかるのだが、それとは違って、チリン、チリンと二度、おずおずとした楕円形の黄金(きん)の音色が響くと来客用の小さな鈴の音だとわかり、皆はすぐに「お客さんだ、いったいだれだろう」と顔を見合わせ、それでいてスワン氏でしかありえないのは百も承知なのだ。
第一篇《スワン家の方へ I》岩波文庫, pp.45-46
Les soirs où, assis devant la maison sous le grand marronnier, Eugênio Sibacciohttp://www.blogger.com/profile/08757808329934071133noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1979983019067065391.post-12917683853704895942019-10-12T20:05:00.036+09:002023-12-04T19:28:42.726+09:00メルロ=ポンティ『モンテーニュを読む』メルロ=ポンティの哲学史的な方法論とは、過去の哲学者たちの仕事のなかに潜在する彼らが〈考えないでしまったこと l'impensé 〉を浮かび上がらせ、自分のものとして引き継ぐような読解の要請である。(國領佳樹)
文学者ではなく哲学者と読む『エセー(随想録)』。
岩波文庫版の翻訳が青帯ではなく赤帯で刊行されているように、『エセー』はもっぱら文学作品として読まれる一方で、モンテーニュという思想家、哲学者の著作でもある。そこで、それでは後代の哲学者は ──何やかんやと批判しつつも『エセー』が最大の愛読書だったに違いないパスカルのほかに── 、モンテーニュをどのように批評しているのだろう、と探してみたところ、メルロ=ポンティという意想外の人の名前にぶつかった。***肉体は我々の存在の大きな部分であって、そこに重要な役割をもっている。それで体の恰好や釣合が重要視されるのは当然であるEugênio Sibacciohttp://www.blogger.com/profile/08757808329934071133noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1979983019067065391.post-41910508665405945202019-09-14T20:28:00.008+09:002023-10-17T21:33:45.272+09:00ルグランダン、愛すべきスノッブ
『失われた時を求めて』を読みながら
ルグランダン Legrandin は『失われた時を求めて』に登場する人物。口では貴族を弾劾しておきながら、内心、彼らに憧れてやまないルグランダン。気取り屋でスノッブでまあいけ好かない人物なのだけれど、どこか憎めない。ルグランダンがみせるような心得顔の目配せ、ほのめかし、言外の暗示など、そういう行動を認める心性は、あながち悪いものとは言えないように思う。
もちろん、そういうふるまい自体に価値があるのではなく、その先にある本来の高貴さだとか礼儀正しさというもののほうが重要なはずなのだが、残念ながら、ルグランダンは真の高貴さも礼儀正しさも持ち合わせていない人物として描かれている。そうではあるけれど、彼なりに、そういう心性に価値が見出していることは、認めてやっても良いのではないだろうか。(小説では結局、彼にとって憧れの的である上流階級Eugênio Sibacciohttp://www.blogger.com/profile/08757808329934071133noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1979983019067065391.post-43123369241008584782019-06-08T21:30:00.019+09:002023-10-18T17:45:05.877+09:00シムノン『死の脅迫状』
『死の脅迫状』は、いわば「忘れられたメグレ」。1942年に週刊誌の連載で発表されたものの、その後刊本化されることがなく、作者死後の1992年にようやく出版された作品(*)。河出書房新社が昭和50年代に出したメグレ警視シリーズの著者紹介文に、「メグレが登場するミステリーは1930年から1972年まで、102篇を数える」とあるのは、誤りではなく、刊行当時に『死の脅迫状』の存在が知られておらず、これが数えられていなかったからであろう。
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古狸の詐欺師へ
今度こそ、お前はもう長くはない。クードレーに行こうが行くまいが、たとえ共和国衛兵隊を引き連れていようが、お前は日曜日の午後6時を前に死ぬだろう。これで、誰にとっても、厄介払いというものだ。(拙訳)
匿名の脅迫状を受け取った富豪のエミール・グロボワが、政治家の口利きで司法警察の局長のところに相談にやってくる。そして、管轄外であるEugênio Sibacciohttp://www.blogger.com/profile/08757808329934071133noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1979983019067065391.post-64049918558163779572019-05-04T21:34:00.014+09:002023-10-18T17:46:04.293+09:00シムノン『メグレと奇妙な女中の謎』(フェリシーはそこにいる)
奇妙なのはむしろ、メグレ警視のほうかもしれない。メグレは、殺人現場となった家を盛んに出入りしている。入り浸っていると言ってもよい。そこには被害者と住んでいた女中のフェリシーがいる。警視は、はじめからフェリシーを容疑者とはみていない。それにもかかかわらず、何かに付けてこの家にやってきて、フェリシーと会話をしたり(たいてい相手は反抗的なのだが)、家中を探ったりする。しかも、勝手に酒樽を開けてワインを飲んだりと、我が家のように寛いでいる様子さえみられる。もちろん彼は捜査のために、事件を解決するために、この家に執着しているのだが、どうもそれだけではないらしく、メグレ自身もそれを認めている。
「警視は何故、あの家に入り浸っているのか?...」気心の知れた部下たちなら誰もそんなことは問わないが、もし誰かがうっかりその質問を発したら、メグレは、あるいはほかの誰かが代わりに、ぼそりとこう答えてEugênio Sibacciohttp://www.blogger.com/profile/08757808329934071133noreply@blogger.com0