そのとき彼の目の前には現実の光の中で、この状況のグロテスクなこと、起こったばかりのことすべてがグロテスクで、ヴェネツィアから乗った列車以来起こったことも、要するに彼の人生も、そしておそらく他人の人生もグロテスクなことが明らかになった。
ジュスタン・カルマールは妻と子どもたちとともにヴェネツィアで夏のバカンスを過ごしていたが、仕事でパリに戻るため、まだ数日滞在する家族を残して一人列車に乗る。車中のコンパートメントで見知らぬ男と相客になる。普段とはちがって、男に自分のことを多く語ってしまい、丸裸にされたような恥ずかしさを覚える。
ジュスタンは男からミッションと呼ぶべき頼み事をされる。途中スイスのローザンヌで2時間の乗換え待ちの間に、指定する住所にスーツケースを届けてほしいというのである。しかも、そのスーツケースはローザンヌ駅のコインロッカーから取り出してほしいと鍵まで渡された。
列車がイタリアとスイスの国境を越える長距離トンネルを通過する頃、ジュスタンは見知らぬ男がいつのまにか消えていることに気づく。ジュスタンは狼狽しながらも、ローザンヌに到着すると男に言われたとおり、アルレット・ストーブなる女性のところにスーツケースを届ける。ところが、訪れたアパートの一室には若い女性が死んで倒れていた。ジュスタンは激しく動揺し、スーツケースを持ったままパリの自宅に戻ってしまう。そして家で恐る恐るスーツケースを開けてみると、中には大量の紙幣が詰まっていた......
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「私は誠実な人間です」── 相手の鷹揚とした様子や巧みな聞き方にのせられ、ジュスタンは自分自身のことをあれこれと話してしまうのだが、もしも普段から自分の暮らしが平穏だと実感していたら、果たしてそのような状況になっていたのだろうか? しかも、ジュネーブで飛行機に乗り換えるために時間がないからという見知らぬ男のために、見知らぬ土地の見知らぬ女のところまでスーツケースを運ぶなどという厄介な頼み事をされるまでに至っただろうか?
見所は、大量の紙幣を誰にも知られずどうやって隠すのかどう処分すべきなのかと悩むジュスタンの姿だけでなく、普段からくすぶっている小さな不満、あるいは恥辱とか屈辱といった感覚が拭えない過去の記憶、そういったものが心のなかで次第に増幅していく様子、そして秘密を打ち明けられないまま自らを追い詰めてしまう一人の人間の様子を目撃することにあるかと思う。本作もやはり、犯罪小説とかノワール小説といった枠組みには収まりきれない大きさ、小説としての度量があるのではないか。
〔余談〕
小説の冒頭にもみられるように、主人公の脳裡には時折12歳の長女ジョゼの姿が浮かんでくる。娘の胸がふくらみはじめ、ジュスタンは困惑している。シムノンにもマリー=ジョーという娘がおり、小説執筆当時、ジョゼと同じくらいの年齢だった。
- 「ハヤカワミステリマガジン」2023年3月号(早川書房)
Georges Simenon, Le Train de Venise, 1965
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