2021/10/16

小倉孝誠『『パリの秘密』の社会史』


世間ではあまり知られていない(ということになっている)フランスの作家ユジェーヌ・シュー、あるいはウージェーヌ・シュー Eugène Sue, 1804-1857。本書は、作家と作品についてだけでなく、19世紀フランスの文芸シーンを知る上でも、たいへん意義深い一冊だ。

新聞小説といっても、明治・大正の新聞に連載された夏目漱石のそれとは、だいぶ趣きが異なったものだったらしい。シューの『パリの秘密』は、新聞小説の典型であるばかりではなく、同時代の社会や政治に大きな影響力をもつ言説になっていた。ミステリ小説の嚆矢とも見られる。たとえば、シャーロック・ホームズのシリーズは、探偵の名推理と謎解きだけでなく、追跡・逃走・旅・流浪といった冒険的な側面 adventure が多分に魅力であるが、そういった要素はまさに、『パリの秘密』に源をたどることができる。

***

ところで、本書には、個人的に一点だけ不満がある。それは、『パリの秘密』の邦訳にかんする著者の見解。

著者によれば、『パリの秘密』の邦訳は三種類あるが、いずれも抄訳である。原書は一年以上にわたって連載された長大な小説で、本国でも縮約版が多く出版されたという。それぞれの抄訳では、物語の本筋だけが採録されており、興味深い筋であっても主人公があまり登場しない箇所は省かれていると、著者は指摘している。そして何よりも、「当時の政治・社会的な側面が等閑に付されている」ことを批判する。

つまり、『パリの秘密』はときおり物語の筋からはなれて、労働者階級の貧困や監獄制度の問題やその解決について論じているのだが、邦訳には掲載されていない。『パリの秘密』が単なる大衆小説ではなく、当時の社会的言説・イデオロギーを読み取る上でも重要な作品であり、そういった箇所が邦訳のなかで欠落していることに遺憾を感じているのだ。

それはまったくもって正しい。しかし、各訳者が、抄訳の基準や原則を述べていないにしても、抄訳とした事情はさまざまあったであろうと推測できる。とりわけ本書は新聞小説という形態を扱っているように、出版事情にも詳しく論じているのだから、著者もそういった都合に気づかないわけがない。数頁ばかり邦訳に対する批判を掲げたのは、本書の評論の幕を開ける際のインパクト効果を狙ったにすぎないのではないか。これから、『パリの秘密』がもつ文化史的な側面を論じるにあたって、これまでの邦訳を「出し」に使っただけなのかもしれない。しかしこれでは、日本にシューを紹介した人々への敬意が感じられない。

本書では一つの章をまるまる割いて、『パリの秘密』のダイジェストを載せている。社会史的側面を論じるにあたって、必要な手続きなのだろう。だが、『パリの秘密』という小説の面白さ自体をかえって殺してしまっていないだろうか(その懸念があってなのか、ページを開くごとに当時の挿画が載っている)。 随所に『パリの秘密』の魅力を語っているけれど百聞は一見にしかず、である。つまり、『パリの秘密』の全訳出版を遂行することこそが、著者には優先されるべきはないだろうか。

そう思うのも、『『パリの秘密』の社会史』から著者のシューへの熱い思いが伝わるため。バルザックの翻訳も出している著者に、ぜひシューの小説の全訳を刊行してほしい。種々の出版事情があるのだとしても。

〔画像〕ウージェーヌ・シュー。

(2008.5.17)

〔付記〕2021年10月現在、「ルリユール叢書」(幻戯書房)にて『パリの秘密』の完訳刊行が準備されているとのこと(訳者は別の方)。楽しみ。

小倉孝誠『『パリの秘密』の社会史 -ウージェーヌ・シューと新聞小説の時代』(新曜社)

2021/10/02

シムノン『メグレとベンチの男』

遁走する男たち

「おわかりでしょう、いちいち繰り返してはいられませんわ。男の人が家庭的に幸福ではなくて、打ち明け話をしはじめると……」
この小説の被害者ルイ・トゥーレのように、実際にはすでに職を失ったり離れたりしているのに、ふだんどおりに朝出勤し、夕方に家に帰ってくるという生活を続ける男たちが、メグレ警視シリーズには何人か登場する。たとえば、『誰も哀れな男を殺しはしない』のモーリス・トランブレや『メグレとワイン商』のジャック・リオールなど。『死んだギャレ氏』の被害者で、出張で家を空けることの多かったエミール・ガレも、この類に数えられる。もしかしたら、ガレ氏が原型なのかもしれない。

いずれにしても、なぜ彼らは妻たちに偽って、遁走ともいうべき、このような行動に及んだのだろう。

もし、妻と然るべき信頼関係を築いていたら、家族と腹を割って話すことができたら、家にいても幸せだったら、彼らは遁走などしなかったのだろうか? そもそも、そのようなことは望むべくもない結婚だったのか?...

***

オランダ語版では「メグレと黄色い靴」 Maigret en de gele schoenen になっている。ルイ・トゥーレはなぜ、妻が見たこともない黄色い靴を履いていたのか? メグレも同じような靴を持っていなかっただろうか?......

〔画像〕オランダ語版の表紙(ディック・ブルーナによる装丁)

ジョルジュ・シムノン『メグレとベンチの男』矢野浩三郎訳(河出書房新社)
Georges Simenon, Maigret et l'Homme du banc (1953)

2021/09/23

フランス心理小説の系譜

心理小説

  • 人間内部の心理の動きに焦点をあて、その分析、観察を主眼とする小説。社会の成員としての人間を外側から描写する写実小説と対比される。
  • フランスにおいて特に発達した小説の一ジャンルで、人間の心理、ことに恋愛心理の微妙なあやを克明に分析し、彫琢された簡潔な文体で記述するのが特徴。
  • 作中人物の心理の動きに焦点を当て、その観察・分析を主眼とする小説。

コトバンクより抜粋

フランスには、人物の内面に焦点をあてた心理分析的な小説の伝統があると言われます。現代にまで連なる心理小説として、嚆矢にはラ・ファイエット夫人の『クレーヴの奥方』が挙げられ、その系譜は18世紀以降も受け継がれています。

実際のところ、心理小説とは何かという明確な定義があるわけではないようで、文学史のなかでも、時代を横断した形で「心理小説」と項目立てて、分類・特化した記述はあまりないようにみえます。

ここでは文学史の書物を参考にしながら、ごく私的な観点でフランス伝統の心理小説の代表作を並べてみます。


17世紀・18世紀 (5)

  • ラ・ファイエット夫人『クレーヴの奥方』 La Princesse de Clèves (1678) ...生島遼一訳(岩波文庫)、永田千奈訳(光文社古典新訳文庫)など
  • マリヴォー『マリアンヌの生涯』 La Vie de Marianne (1731-1741) ...佐藤文樹訳(岩波文庫)
  • プレヴォー『マノン・レスコー』 Histoire du Chevalier des Grieux et de Manon Lescaut (1731) ...河盛好蔵訳(岩波文庫)、野崎歓訳(光文社古典新訳文庫)など
  • クレビヨン・フィス『M侯爵夫人のR伯爵への手紙』 Lettres de la marquise de M*** au comte de R*** (1732)
  • ラクロ『危険な関係』 Les Liaisons dangereuses (1782) ...伊吹武彦訳(岩波文庫)、竹村猛訳(角川文庫)など

19世紀 (10)

  • シャトーブリアン『ルネ』 René (1802) ...畠中敏郎訳(岩波文庫)
  • セナンクール『オーベルマン』 Oberman (1804) ...市原豊太訳(岩波文庫)
  • コンスタン『アドルフ』 Adolphe (1816) ...新庄嘉章訳(新潮文庫)、大塚幸男(岩波文庫訳)
  • スタンダール『赤と黒』 Le Rouge et Noir, Chronique du 19 siècle (1830) ...小林正訳(新潮文庫)、桑原武夫・新庄嘉章訳(岩波文庫)
  • ミュッセ『二人の恋人』 Les Deux Maitresses (1837) ...新庄嘉章訳(新潮文庫)、小松清訳(岩波文庫)
  • サンド『愛の妖精』 La Petite Fadette (1849) ...宮崎嶺雄訳(岩波文庫)、篠沢秀夫訳(中公文庫) 
  • フローベール『ボヴァリー夫人』 Madame Bovary (1857) ...生島遼一訳(新潮文庫)、山田爵訳(河出文庫)
  • フロマンタン『ドミニック』 Dominique (1863) ...安藤元雄訳(中公文庫)
  • ブールジェ『嘘』 Mensonges (1887) ...内藤濯(岩波文庫)
  • ブールジェ『アンドレ・コルネリス』 André Cornélis (1887) ...田辺保訳(中央公論社)
  • ミルボー『小間使の日記』 Le Journal d'une femme de chambre (1900) ...山口年臣訳(角川文庫)

20世紀 (24)

  • ジッド『狭き門』 La porte étroite (1908) ...山内義雄訳(新潮文庫)、川口篤訳(岩波文庫)
  • プルースト『失われた時を求めて』 À la recherche du temps perdu (1913-1927) ...吉川一義訳(岩波文庫)、鈴木道彦訳(集英社)
  • ラルボー『幼なごころ』 Enfantines (1918) ...岩崎力訳(岩波文庫)
  • ラルボー『恋人たち、幸せな恋人たち』 Amants, heureux amants (1923) ...石井啓子訳(ちくま文庫)
  • コレット『シェリ』 Chéri (1920) ...工藤庸子訳(岩波文庫)
  • コレット『青い麦』 Le Blé en herbe (1923) ...堀口大學訳(新潮文庫)
  • コレット『牝猫』 La Chatte (1933) ...工藤庸子訳(岩波文庫)
  • シャルドンヌ『祝婚歌』 L'Épithalame (1921)
  • ラクルテル『ジルベルマン』 Silbermann (1922) ...青柳瑞穂訳(新潮文庫)
  • コクトー『大胯びらき』 Le Grand Écart (1923)...澁澤龍彥訳(河出文庫)
  • コクトー『恐るべき子供たち』 La Les Enfants Terribles (1929) ...中条省平訳(光文社古典新訳文庫)
  • ラディゲ『肉体の悪魔』 Le Diable au corps (1923) ...新庄嘉章訳(新潮文庫)、中条省平訳(光文社古典新訳文庫)
  • ラディゲ『ドルジェル伯の舞踏会』 Le Bal du comte d'Orgel (1924) ...堀口大學訳(講談社文芸文庫)、新庄嘉章訳(新潮文庫)
  • モーリヤック『テレーズ・デスケルー』 Thérèse Desqueyroux (1927) ...遠藤周作訳(講談社文芸文庫)
  • アルラン『秩序』L'Ordre (1929) ...佐藤文樹訳(弘文堂書房)
  • サロート『見知らぬ男の肖像』 Portrait d'un inconnu (1948) ...三輪秀彦訳(河出書房新社)
  • サロート『プラネタリウム』 Le Planétarium (1959) ...菅野昭正訳(新潮社)
  • シムノン『判事への手紙』Lettre a mon juge (1947) ...那須辰造訳(早川書房 )
  • シムノン『かわいい悪魔』 En cas de malheur (1956) ...中村真一郎訳(集英社) 
  • シムノン『ビセートルの環』 Les anneaux de Bicêtre (1963) ...三輪秀彦訳(集英社)
  • ビュトール『心変わり』 La Modification (1957) ...清水徹訳(岩波文庫)
  • サガン『悲しみよこんにちは』Bonjour Tristesse (1954) ...河野万里子訳(新潮文庫)
  • ソレルス『奇妙な孤独』Une curieuse solitude (1958) ...清水徹訳(新潮社)

なかには「心理小説」の名のもとに含めてもよいのか、反対に、なぜあの作家のあの作品が掲げられていないのかなど、疑問符の付くところが多々あるかと思います。また、現代作品については寡聞にして知らず。古典的評価の高い作品などご教示くだされば幸いです。

***

心理分析、心理解剖を叙述するためには、登場人物と同じくただ感情にまかせて語るのでは、読者には伝えられない。たとえ恋愛感情が主題であっても、作者においては冷徹な知性が働いているからこそ、明晰にして緻密な描写や語りが生み出されるのではないかと思います。

会話の様子などをうかがう限り、フランスの人は自分の考えだけでなく感情を相手に伝える際も、できる限り言葉に尽くそうとする努力を全然惜しまないように思います。日本人であれば感情的になって諍いに陥ってしまいそうな勢いでも、舌鋒鋭く論戦を繰り広げた末、にこやかに握手するといった印象を抱きます。心理分析に優れた小説が、なぜフランスでとくに発達したと言われるのか。そのような国民性といったものにも由来するのではないだろうか、などと思ったりします。


〔参考〕

  • 饗庭孝男・朝比奈誼・加藤民男編『新版 フランス文学史』(白水社)
  • 田村毅・塩川徹也編『フランス文学史』(東京大学出版会)



2021/09/18

モーリヤック『テレーズ・デスケルー』

われわれの行為、われわれの人生というのは、それを一つだけ切り離そうとすると、無数の根が絡み合って引き裂くこともできない樹木に似ているのだ。 
家族のものは自分を怖ろしい女とみるだろうが、自分には家庭のものこそ怖ろしいと思う。外見には何も表れぬが、あの人たちは自分を次第に滅ぼしていくのだ。

今日の読者は、語り手の叙述に従ってテレーズの側で小説世界を見ているだけでなく、20世紀前半を生きた人々にくらべ、自分がさまざまな精神の病に取り囲まれていることもすでによく知っているから、テレーズが常軌を逸した怖ろしい女などではなく、自分の内にも「テレーズがいる」ということをたやすく感じ取ることができる。

けれども、もし実世界で同じような出来事を目の当たりにしたら、われわれは果たしてテレーズの側に行けるだろうか? そのときはやはり、ごく当たり前のように、ベルナールやその母のような態度や行動をとってしまうのではないだろうか? 家族だけでなくわれわれ社会も、日々粘液のようにまとわりつく情報に操られ、正義を振りかざしてテレーズを(そして罪を犯してすらいない家族をも)糾弾するのではないだろうか?

人間には目に見えない罪というものがあると思います。私は罪人ではないというに思っている人の方が、むしろ、自分は万引きをしてしまったと思っている人よりも、怖ろしいんではないか、そういうふうに私は考えるのです。(瀬戸内寂聴)


〔余談1〕作品の背景には、フランスで実際に起こった事件が垣間見える。

  • カナビー事件 L'affaire Canaby(シャルトロン事件)... 1905年、アンリエット=ブランシュ・カナビーという女性が、夫に砒素を盛って毒殺しようとした嫌疑で告発された事件。翌年行われた裁判では、妻の無実を訴える夫の証言によって殺人未遂ついては罪を免れた。当時20歳だったモーリヤックはこの裁判を傍聴した。
  • ポワティエ女性監禁事件 L'affaire de la « séquestrée de Poitiers »... ブランシュ・モニエという女性が家族(とくに母親)によって25年間も自宅に監禁され、1901年にそれが明るみとなった事件(作中、第12章にある「ポワチエの女囚」のこと)。1930年、アンドレ・ジッドがこの事件を下敷きに小説『ポワティエの幽閉者』を書いている。

〔余談2〕春秋社刊の『モーリヤック著作集』第2巻では、本作を含めテレーズを主人公とした翻訳作品が収録されている。『医院でのテレーズ』(1938)『ホテルでのテレーズ』(1938)『夜の終わり』(1935)...

***

「わたしは自分の罪さえわかっていない。わたしは世間が自分に負わせたような罪を犯す気持ちはなかった。自分でも何をしようとしたかわからないのだ。わたしのなかとわたしの外にある凶暴な力がどこへ向っていくのか自分でもわかっていなかったのだ。その力が進んでいく途中で破壊していくものに、わたし自身が怯えおののいているのだから......」(p.23)

われわれの行為、われわれの人生というのは、それを一つだけ切り離そうとすると、無数の根が絡み合って引き裂くこともできない樹木に似ているのだ。(p.26)

われわれの人生のうちまったく汚れのないあの黎明(しののめ)にも嵐の気配がすでに漂っているのは信じられぬが事実だ。あまりに碧く晴れた朝も午後と黄昏の嵐を告げつ悪いしるしなのだ。(p.28)

言葉だけで嘘をつくぐらい誰だってできる。しかし肉体で嘘をつくのは、別の技術を要した。いかにも欲望があるようにみせかけたり、性の歓びや心地よい疲労を装うことは誰にもできることではない。(p.44)

機知をひめらかすことはむずかしいことじゃない。万事につけて常識をひっくりかえしてみせればいいのだから。(p.75)

家族のものは自分を怖ろしい女とみるだろうが、自分には家庭のものこそ怖ろしいと思う。外見には何も表れぬが、あの人たちは自分を次第に滅ぼしていくのだ。(p.130)

死とはなんだろう。死を知っているのは誰もおらぬ。テレーズは死後の世界が虚無だということについても確信が持てない。死後の世界には誰もいないのだと、絶対に考えることができない。ただテレーズはこのような恐怖を感じる自分を憎んだ。他人をそこに平気で投げ込もうとした彼女が、今、虚無の前に立って後ずさりをする。その卑怯さがひどく恥ずかしかった。(p.134)

「私は望んでいたこと? 望んでいなかったことのほうをいうほうがやさしいわ。わたしはただ人形のように生きたくなかったんです。身振りをしたり、決まり切った文句を言ったり、いつもいつも一人のテレーズという女を殺してしまうようなことをしたくなかったんです。」(p.171)


フランソワ・モーリヤック『テレーズ・デスケルー』遠藤周作訳(講談社/春秋社)
François Mauriac, Thérèse Desqueyroux, 1927

2021/07/03

シムノン『フラマン人の家』

〔小説の冒頭〕
「ジヴェの駅に着いて、メグレが列車から降りたとき、真っ先に目に入った人物は彼の居たコンパートメントの真正面にいた。それはアンナ・ペータスだった。プラットフォームのこの場所にメグレが紛うことなく降り立つことを予見していたかのように! だが、彼女はそのことに驚いたりも誇ったりもしていないようだった。アンナは、メグレがパリで会ったときのように、おそらく普段からもそうであるように、鉄灰色の仕立服に身を包み、黒い靴を履き、その形や色さえも後で思い出すことなどできないような帽子をかぶっていた。」

ムーズ川から見たジヴェの町、シャルルモン要塞

ジヴェ Givet はフランス北部にある、東西と北をベルギーに囲まれた国境の町。そこで食料品店を営むフラマン人(オランダ語を話すベルギー人、フランデレン人とも)の一家ペータス家の娘アンナがメグレのところにやってきたのが物語の発端である。同じ町に住むフランス人の娘ジェルメーヌ・ピエブゥフが失踪するという事件が起きたのだが、ペータス家が娘を謀殺したに違いないと疑われ、助けを求めてきたのである。義理の従兄からの紹介状もあってか、メグレは警官としてではなく、いわば私立探偵としてジヴェに赴く。ペータス家を何度も出入りし、ピエブゥフ家の人々と会い、船乗りの証言を聞き、ナミュールにある修道院を訪問し、メグレはやがて真相にたどり着く......

ジヴェは、町の真ん中をムーズ川(オランダ語ではマース川)が縦断している。フランス、ベルギー、オランダの三国を貫くこの川は水運が発達し、往時には非常に多くの船や艀が行き交ったらしい。ベルギー方面に向かって川を下ると、シムノンの生まれた町リエージュにたどり着く。作中でも町の名前が二度ほど出てくる。

物語では、フラマン人に対するフランス人の嫌悪が書かれている。勤勉なペータス家が一財産作ったうえ、町に停泊するフラマン人の船乗りたち向けの店が繁盛していることに、フランス人の住民が嫉妬しているのである。作者のシムノンはフランス語を話すベルギー人、いわゆるワロン人だが、先祖はフランデレン地域(オランダ語圏地域)のリンブルフ地方から出てきたらしい。その意味ではフラマン人の「血筋」とも言える。

作者自身のバックボーンが直接語られているわけではないが、ムーズ川がリエージュやリンブルフ地方を流れるように、あるいは、ジヴェという場所だからこそ起こりそうな事件の物語として、土地のことをぼんやりと意識しながら本作を読むのも面白いかもしれない。


ジョルジュ・シムノン『メグレ警部と国境の町』三輪秀彦訳(創元推理文庫)
Georges Simenon, Chez les Flamands, 1931

2021/02/22

アガサ・クリスティを読みながら

御多分に洩れず、私も中高生の頃からアガサ・クリスティを読み始めた。どの作品を読み、どのくらいの冊数を読んだのか、はっきりとは覚えていないが。

はじめにポワロありき...

始めはポワロばかり読んでいた。どちらかといえばドラマのほうが好きだったので(いまでもデヴィッド・スーシェ主演の『名探偵ポワロ』を観ている)、ドラマで興味の湧いた作品を原作でも読んでみるという程度だった。ドラマに満足してしまい、すでに原作を読んだと錯覚しているところもあるのではないか。

ポワロもので個人的に好きな作品は...

いずれも世評はあまり高くなさそうな作品ばかりだが、再読したことがあり、あるいはもう一度読みたいと思っている作品を挙げると、こうなった。一方で、ドラマを観ただけで終わっている作品に『五匹の子豚』や『満潮に乗って』などがあり、これらもいずれは読もうと思っているところ。

ミス・マープルはすぐそこに...

とは言いつつ、最近はミス・マープルのほうに関心が向いている。ポワロに比べるとミス・マープルものは少ないが(長篇12作、短篇20作)、クリスティの心理分析の力量、人間精神の探究ぶりは、ミス・マープル作品のなかでとくに発揮されているのではないかと勝手に思っている。

ミス・マープルもので個人的に好きな作品は...

ひとまず挙げてはみたものの、実際のところは甲乙付けがたい。マープルは作者の祖母がモデルになっているそうだが、作者自身の真情というか内面の一部分は、ポワロ・シリーズに比べると、より自然な形でこの人物に投影されているのではないか。そのせいか、彼女(マープル?クリスティ? )のモラリスト=人間観察家としての台詞には重みがあり、説得力がある。

ついでに、ポワロもミス・マープルも、それからトミーとタペンスも出てこない、いわゆるノン・シリーズに興味が湧いたのも、最近の傾向かもしれない(随分前に、フランスの映画とリンクして『ゼロ時間へ』に感心したことはあったが)。個人的には、ファンの多くが最良作に挙げる『そして誰もいなくなった』には、作家の天才を改めて目の当たりにして戦慄を覚えたものの、さほど感銘を受けなかった。一方で、『無実はさいなむ』や『ねじれた家』、『終りなき夜に生れつく』はたいへん良かった。これらの作品は「ミステリー小説」という枠組みだけで捉えようとすると、かえって評価を誤るのではないかと思う。

***

シムノンのメグレ警視シリーズは全作読破してやろうなどと、しゃかりきになっているけれど、クリスティについては、ミス・マープルものは全部読みたいと思いつつ、これからも気まぐれに、興味の赴くままに付き合っていこうと思う。

2021/01/30

モンテイエ『帰らざる肉体』

信仰という便利なものを持たない人間にあっては、取り返しのつかない過ちをしたということは痛ましい事件です。ぼくたち無神論者には、赦しというものは考えられず、赦免も忘却もない......。われわれは囚人の足についた鉄丸のように自分の過失を引きずって歩き、われわれを迎え入れてくれる大地よりも重い鎖に繋がれたまま死ぬ。(p.122)

『帰らざる肉体』は、フランスの小説家ユベール・モンテイエが書いた小説。1961年の作品。原題の « Le Retour des cendres » (遺灰の帰還)という言葉は、フランスではとくに、英領セントヘレナ島で死んだナポレオンの遺体が約20年後に本国フランスに帰還した出来事、その際に執り行われた儀式のことを思い浮かばせるようだ。小説では、ナチスの強制収容所で苛酷な経験をした後、ようやくパリに生還した主人公エリザベート・ヴォルフ自身を喩えていると思われる。

予審判事からの手紙(1945年11月1日付)という印象的なプロローグで始まり、エリザベートによって綴られた日記(6月29日から10月29日まで)が本編を構成する。手紙によれば、エリザベートは10月29日から翌日にかけて、夜間のガス漏れが原因で急逝したという。果たしてそれは事故なのか、自死なのか、殺害なのか。それは日記を読むことで分かるというのである。

(*) 物語の概要については 、こちら(hackerさんの書評)をご覧ください。

ヒッチコックが『めまい』のタイトルで映画化したボワロー=ナルスジャックの小説の設定に似ている(『死者の中から』、のちに映画のフランス公開時のタイトルに合せて『冷や汗』に改題)。一方、本書では、出来事の当人が日記で連綿と語るがゆえに、強制収容所に連行されたユダヤ人であるがゆえに、時代が戦後の混乱期であるがゆえに、一見突拍子もないシチュエーションが自然に成り立っているかのようである。

『帰らざる肉体』は二度ほど映画化されている。そのうち一つは、わりと最近にドイツで映画化されている。機会があったら観てみたい。

  • 『死刑台への招待』 Return from the Ashes (イギリス、1965年)
  • 『あの日のように抱きしめて』Phoenix (ドイツ、2014年)


ユベール・モンテイエ『帰らざる肉体』大久保和郎訳(早川書房)
Hubert Monteilhet, Le Retour des cendres (1961)

2020/12/30

2020年に読んだ小説など

コロナ禍で家に居る時間が増え、読書量もこれに比例したかと思いきや、それほど本は読まなかった気がする。以前は、通勤の行き帰りにも本を開くことが多かったからだと思う。通勤の時間がなくなって余暇が増えたはずなのに……

あいかわらずのメグレ三昧のなか。ルドゥレダの『ダイヤモンド広場』は、いつになるかは分からないけれど、きっともう一度読み返すことがあると思う。つい先日、数年ぶりにユルスナールの作品を読めたのはとても良かったし、10年来の積読を1冊解消したのも(サロートの『プラネタリウム』)、大きな収穫だった。一方で、一昨年から続けていた『失われた時を求めて』の再読計画は、語り手の悲嘆に付き合えきれず、「消え去ったアルベルチーヌ」で頓挫中。

***

  • マルセル・プルースト『失われた時を求めて 11』第五篇「囚われの女 II」吉川一義訳(岩波文庫)再読
  • ナタリー・サロート『プラネタリウム』菅野昭正訳(新潮社)
  • マルグリット・ユルスナール『流れる水のように』岩崎力(白水社)
  • マリヴォー『マリヤンヌの生涯 (1)』佐藤文樹訳(岩波文庫)
  • ジョルジュ・シムノン『モンド氏の失踪』長島良三訳(河出書房新社)再読
  • ジョルジュ・シムノン『ブーベ氏の埋葬』長島良三訳(河出書房新社)再読
  • ジョルジュ・シムノン『アルザスの宿』原千代海訳(創元推理文庫)
  • ジョルジュ・シムノン『メグレ夫人と公園の女』佐宗鈴夫訳(河出書房新社)
  • ジョルジュ・シムノン『メグレの失態』大友徳明訳(河出書房新社)
  • ジョルジュ・シムノン『メグレ罠を張る』峯岸久訳(早川書房)
  • ジョルジュ・シムノン『メグレと老婦人の謎』長島良三訳(河出文庫)
  • ジョルジュ・シムノン『メグレと殺人予告状』榊原晃三訳(河出書房新社)
  • ジョルジュ・シムノン『メグレの拳銃』佐宗鈴夫訳(河出書房新社)
  • ジョルジュ・シムノン『メグレ保安官になる』鈴木豊訳(河出書房新社)
  • ジョルジュ・シムノン『メグレ間違う』萩野弘巳訳(河出書房新社)
  • ジョルジュ・シムノン『メグレとワイン商』飯田浩三訳(河出書房新社)
  • ジョルジュ・シムノン『メグレとベンチの男』矢野浩三郎訳(河出書房新社)
  • ジョルジュ・シムノン『メグレとルンペン』野中雁訳(河出書房新社)
  • ジョルジュ・シムノン『メグレと田舎教師』佐伯岩夫訳(河出書房新社)
  • ジョルジュ・シムノン『メグレと殺人者たち』長島良三訳(河出文庫)
  • ジョルジュ・シムノン『メグレの幼な友達』田中梓訳(河出書房新社)
  • ジョルジュ・シムノン『ガレ氏、死す』(リーヴル・ド・ポッシュ)
  • ジョルジュ・シムノン『署名ピクピュス』(フォリオ・ポリシエ)
  • アガサ・クリスティ『動く指』高橋豊訳(ハヤカワ文庫)
  • アガサ・クリスティ『葬儀を終えて』加島祥造訳(ハヤカワ文庫)
  • アガサ・クリスティ『杉の柩』恩地三保子訳(ハヤカワ文庫)
  • アガサ・クリスティ『鏡は横にひび割れて』橋本福夫訳(ハヤカワ文庫)
  • D.M.ディヴァイン『五番目のコード』野中千恵子訳(創元推理文庫)
  • D.M.ディヴァイン『紙片は告発する』中村有希訳(創元推理文庫)
  • M.W.クレイヴン『ストーンサークルの殺人』東野さやか訳(創元推理文庫)
  • マルセー・ルドゥレダ『ダイヤモンド広場』田澤耕訳(岩波文庫)
  • フアン・ルルフォ『燃える平原』杉山晃訳(岩波文庫)
  • フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』杉山晃訳(岩波文庫)
  • マルク・パストル『悪女』白川貴子訳(創元推理文庫)
  • 『ポルトガル短篇小説傑作選』ルイ・ズィンク・黒澤直俊編(現代企画室)
  • 古井由吉『辻』(新潮文庫)
  • 村上光彦『イニシエーションの旅』(未知谷)
  • 関根秀雄『モンテーニュとその時代』(白水社)

〔読み途中〕

  • ナタリー・サロート『生と死の間』平岡篤頼訳(白水社)
  • モンテスキュー『ペルシア人の手紙』田口卓臣訳(講談社学術文庫)
  • マルセル・プルースト『失われた時を求めて 12』第六篇「消え去ったアルベルチーヌ」吉川一義訳(岩波文庫)再読


〔参考?〕2019年に読んだ小説など 

2020/12/19

シムノン『ブーベ氏の埋葬』

 ほんのわずかなことで、物事の様相は一変してしまうものだ。もしも偶然が、これこれの日と時間に、若いアメリカ人の学生を河岸に導くようなことをしなければ。さらには、もしも偶然が、学生がカメラを手にしていることを望まなければ、もしもエピナル版画がブーベ氏のまわりで散乱していなかったら、そして、その場に一風変わった趣を与えていなかったら、おそらく学生は写真を撮る考えを起こさなかっただろう。

ある朝、無名の老人が突然道端に倒れ、そのまま息を引き取った。目の当たりにした人々には驚くべき光景ではあったものの、ことさら新聞に載せるほどに珍しい出来事ではあるまい。然るべき法的な手続きがとられ、数日のうちに葬式が執り行われ、老人は何事もなく埋葬されるはずだったのではないか?

ところが偶然にも、老人の顔が写真に撮られ、しかもそれが当日の夕刊に載ってしまった。そのことで、老人が墓場まで持ち去るはずだった数々の事実が、明るみになっていくのである。「あのいまいましいアメリカ人学生が、写真の愛好家でなかったならば……」(p.144)

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この事案を捜査する何人かの警察官が登場する。司法警察局の面々なのだが、メグレ警視シリーズに出てくる人々の面影を感じる。自らの足で地道に捜査を進めるムッシュー・ボーペールの姿は、あの「無愛想な刑事」ロニョンを彷彿とさせる。ムッシュー・ボーペールのほうは相手が浮浪者であっても親切で、ロニョンほどの悲壮感は背負っていないけれど。リュカ刑事については、シリーズ常連の同じ名の刑事がいる。同じ人物だろうか?(リュカの名は、『汽車を見送る男』などシリーズ外の作品にも多く登場する。) そして、局長のギヨーム氏。メグレほど寡黙でも重々しくもないが、部下とのやりとりなどにメグレの雰囲気が垣間見える。いや、突然、局長の部屋の扉が開き、パイプを加えた大男が現れるかもしれない?……


ジョルジュ・シムノン『ブーベ氏の埋葬』長島良三訳(河出書房新社)
Georges Simenon, L'Enterrement de Monsieur Bouvet (1950)

2020/11/29

『サン=サーンスの墓』について

来年2021年は、フランスの音楽家カミーユ・サン=サーンスの没後100年にあたります(1921年12月16日、アルジェで逝去)。10年以上も前になりますが、サン=サーンスやフランス音楽をテーマに『サン=サーンスの墓』というウェブサイトを公開していました。この機会に、別のブログサイトで、サン=サーンスに関する記事を改めて公開していこうと思います。


『サンサーンスの墓』の構成

  • サン=サーンスの生涯》… 音楽家サン=サーンスの足跡をつづった文章です。(旧サイト『サン=サーンスの墓』のメインコンテンツ)
  • 演奏するサン=サーンス》… 生前にサン=サーンスが出演した演奏会の模様をお伝えします。こちらはこのブログで以前に連載したもので、順次『サン=サーンスの墓』に転載していきます。
  • クロノロジ》… サン=サーンス86年の生涯をたどった年譜です。
  • 断章》… 上記以外の、サン=サーンスやフランス音楽をテーマにした単発の記事です。このブログで以前に公開した音楽関連の記事がメインになります。


上記のほか、余力があれば作品表も作成できたらと思っております。(けっこうな重労働になると思いますが...)

これを機会に、「ベルリオーズ、グノー以後の最も偉大なフランスの音楽家の一人」サン=サーンスに関心をもたれ、演奏会や録音、あるいは実際の演奏などで、サン=サーンスの音楽に幅広く触れてくだされば嬉しい限りです。

本ブログ『Sibaccio Notes』ともども、『サン=サーンスの墓』をよろしくお願いいたします。


〔参考〕(人物事典)カミーユ・サン=サーンス in Sibaccio Notes