2022/02/06

モンテーニュ «Les Essais» の訳題

近頃はこの表題をそのまま『エセー』と片仮名に置き換える方式が好まれているが、日本語で読む読者のことを考えると、これは一考を要する訳題ではないかという気がしないでもない。 

(菅野昭正)(*1)

(*1) 堀田善衛『ミシェル 城館の人』(集英社)巻末の解説より

モンテーニュの «Les Essais» の全訳が『随想録』の題名で初めて出版されたのは、昭和10年(1935年)のことです。その際、この作品にどのような訳題を付けるのが良いのか、翻訳者の関根秀雄はモンテーニュ自身の叙述を思い出しながらあれこれと思案したそうですが(そのあたりの経緯は、白水社版『モンテーニュ全集』の解説などで触れています(*2))、何よりもそれは、これからモンテーニュを読もうという一般読者を考えてのことでした。

(*2) 文末の〔参考〕を参照。

当時、「エッセイ」や「エセー」といった言葉は、日本ではまだそれほど浸透していない時代だったと思います。片仮名のまま「エセー」としたり、単純に「試みの書」だとか、それらしく造語で「試想録」「試考録」などと用いたところでは、日本語で読もうという一般読者にはかえって、この書物が一体どのような内容のものなのか判然とせず、モンテーニュの魅力が伝えられないと配慮したのではないでしょうか?

«Les Essais» では、懐疑主義(「私は何を知っているか? Que sçay-je ?」)を一つの立脚点に物事を正しく判断しようという試み essais、あるいは思考の方法といったものが採られ、近代哲学の祖とも目されるデカルトに重要な影響を与えたと言われます。しかし、それと同時に «Les Essais» は、古代や同時代の挿話、軽妙洒脱な随筆などにも溢れる書物であり、読み進めるにつれて「自由自在な漫談漫筆の至芸」が冴え渡る高度な文芸作品でもあります。

エッセー(essai)という彼の書物の標題となったフランス語には、もっと突き詰めた真剣な意味もあるにはあるが(一の五十参照)(*3)、一方にはこのような[第1巻第36章「着物を着る習慣について」にあるような]軽い遊びの気分も含まれていたのである。だからエッセーを随想録と呼ぶことをわたしは敢えてはばからない。それはエッセーの字義ではないので、この本の著者の生い立ちや性癖、またこの本を包んでいる雰囲気などのすべてを籠めての訳語なのだ。 

(関根秀雄)(*4)

(*3)「判断は、どんな問題にも適用される道具で、あらゆる場合に関与する。だからわたしは、ここに判断の試しをするにあたって、あらゆる機会を利用する。」『随想録』第1巻第50章「デモクリトスとヘラクレイトスについて」より

(*4) 関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』(国書刊行会)所収「モンテーニュの知恵」より

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そこ[書斎]でわたしは、あるときにはこの本を、またあるときにはこの本を、またあるときには別の本を、というふうに、これという順序もなくあてもなく、あれこれと拾い読みをする。あるときは夢想し、あるときは歩きまわりながら、ここにあるような夢想を書き付けたり口授したりする。 

『随想録』第3巻第3章「三つの交わりについて」より

気の向くまま・随意に本を開いたり何かを書き付けたりするように、モンテーニュは「判断の試し」だけをひたすらストイックに追求していたわけではなく、随感随想を文章に書き上げながら、自己を描くこと自体を楽しんでいた(=試していた)のだ...... 散文ではあるけれど、詩人の気概に満ちた書物なのだ(*5)...... 分厚いけれど立派な哲学書として珍重するより、友人と語らうようにくつろいだ気分でこの書物を読んでいこう...... そういったメッセージが、「随想録」の訳語には含まれているのではないでしょうか?(*6)

(*5) 「モンテーニュは詩人であるとの認識こそ、モンテーニュの生涯と著作とに関するもろもろの問題を解決するいわばマスター・キーであろう」関根秀雄『モンテーニュ逍遥』(白水社)より

(*6) «Les Essais» はモンテーニュ死後の1613年に、ジョン・フロリオ John Florio (1552–1625)によって英訳が刊行されています。哲学書としてよりも文芸作品として、そしてそこにあふれる随感随想の気分が、本国フランスよりも英国ではたいへん好意的に受け入れられ(あるいは英国人の気風にも合って)、フランシス・ベーコンを始めとする多くの文人にも "Essay" を書かせることになり、今日の随筆文学という一大ジャンルにまで発展しました。

もし、フランス文学の研究者、知識エリートのような人々、高尚なものや難解なものを好むようなディレッタントな人々だけをあらかじめ読者層に想定していたとしたら、当初から「エセー」という題名でよかったのかもしれません。しかし関根は、これから人生を本格的に歩もうとしている若い人々にとって、人生のさまざまな苦難に日々直面するあらゆる人々にとって、一つの道標になればという思いも籠めて(それは関根自身の経験から来るものでもありました)、«Les Essais» の邦訳を出したのです。そのために訳題を工夫するのはごく自然のことであり、その結果「随想録」という言葉に行き着いたのだと思います。

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堀田善衛は «Les Essais» の訳題に触れ、「『随想録』などという仰々しい訳名のついた書物」と述べています。「これは人生にあっての経験、体験の書」と看取したほどの人がこのような言葉を吐いたのは、意図的だったとしても、少々浅慮だったのではないかと感じます。


〔参考〕「随想録」という訳名を与えた理由など...

「随想録」という標題は〈エッセー〉という語の直訳ではもちろんない。モンテーニュ自ら自著の性格や特質を説明するために、書中あちこちにまき散らしている片言隻語をあれこれ思い出している間に、偶然私の胸に浮びあがった至極平凡卑近な、日本語在来の成語の一つを採っただけで、〈想ウニ随ッテ録ス〉という意味である。

強いてその出所をあかせと言う人々には、先ず第一に、三の三 [「三つの交わりについて」]に、モンテーニュ自らその隠棲における勉強ぶりを物語っている件 «...tantost je resve, tantost j'enregistre et dicte... mes songes que voicy» を、あるいはまた三の九 [「すべて空なること」]の終わりに近く、自著に対する世評に自ら答えている文章でも、示せばすむことであろう。とにかく従来思想・感想・瞑想・夢想・妄想・空想等々の熟語を使いこなして来た我々日本人が、モンテーニュの作品そのものを読んでゆく間にこの随想という成語に思い至るのは、むしろ自然当然のことではあるまいか。

『モンテーニュ全集1 モンテーニュ随想録』(白水社)
「はしがき」より

〔参考〕


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