2020/09/12

角田喜久雄『高木家の惨劇』

加賀美敬介登場

「庁の方においでがなかったんで随分方々探しました。事件です! 今、現場からおかけしているところです。殺人ですよ。どうも一寸妙な所のある事件なんで……被害者は資産家。拳銃でやられています。現場は西武電車の鷺の宮駅から北へ十二三分……え? 兇行の時刻? 三時です。では、来て頂けますね?」

『高木家の惨劇』は角田喜久雄の小説。戦後まもなくの1947年に発表された。もし副題を添えるなら、「午後三時の現場不在証明(アリバイ)」と言ったところか。警視庁捜査一課長の加賀美敬介なる人物が探偵として活躍する。この加賀美敬介の風貌が、ジュール・メグレによく似ている。体が大きくてどっしりとしており、口数が少なくていつも不機嫌そうだ。ビール好きも共通しているが、加賀美のほうはパイプの代わりに始終煙草を吸っている。一方で、加賀美夫妻には6歳の娘がいる。メグレ夫妻の念願を代わりに叶えたのかもしれない。もしかしたら作者は、メグレの人情深い面についても、加賀美にもっと投影したかったのではないと推量するものの、この一作だけでは字数に限りがあり、そこまで描ききれなかったのでは、とも。いずれにしても、作者自身が認めるように、加賀美はメグレをモデルに造型された人物である。

鷺ノ宮駅
小説の舞台

ところで、メグレ警視シリーズでは、パリを舞台に主人公が東奔西走する様子が読みどころの一つにある。小説には司法警察局(オルフェーヴル河岸36番地)とメグレの自宅(リシャール・ルノワール大通り32番地)を筆頭に、パリに実在する街が次々と登場する。地図を広げながらメグレの行き先が追えるのも、読者にとっては大きな愉しみだと思う。

『高木家の惨劇』では、「鷺の宮駅から北へ十二三分」のところで殺人事件が発生する。鷺ノ宮駅(中野区鷺宮)は西武新宿線の駅で、急行であれば、都心から15分とかからずに着くところ。小説中にはさらに、高木家から十数分歩いたところの練馬に住んでいる者がいる。

そうすると、高木家の場所は今の新青梅街道を越えたあたり、中野区ではなく練馬区の中村南もしくは中村あたりではないかと類推される。すっかり宅地化された地域だが、戦後まもなくは、典型的な武蔵野の田園風景が広がっていたのではないかと想像される(*)。ちらほら畑が残っているところ、道筋が比較的碁盤の目状になっているあたりに、かろうじてその面影があるのだろうか。

とにかく、鷺ノ宮駅だとか野方駅だとか、「上石神井 ─ 高田馬場間」などと出てくると、この地域、沿線を知る者としては、時代は随分異なれど、物語自体とは別の愉しみが生じて面白い。
(*) 別の作品「五人の子供」でも、この近辺で事件が起こったようだ。「武蔵野電車のN駅から南へ下がると、間もなく人家が絶えて一望の畑地続きになる。この辺りは、東京近郊でも珍しいくらい武蔵野の風貌を伝えている所で、起伏の多い畑地の所々に、点々と冬枯れた雑木林がのこっていた。」おそらく、西武池袋線練馬駅か中村橋駅が最寄りなのではないか?...

***

派手なところはないが犯罪には意外性があり、誇張はあるにしても登場人物はよく描き分けられていて、映像化しても見応えがあるように思う(もしかしたら、そのような面でもシムノンの筆致に倣ったのかもしれない?)。時代そのままの再現は難しいかもしれないが、現代に置き換えても良いのでは。犯罪トリックは時代掛かっているだろうか? いや、一捻り加えたら十分アレンジできそうな気がする。加賀美敬介役は……(勝手なことを言いつのっております)

〔加賀美敬介登場作品一覧〕
    長篇
  • 『高木家の惨劇』
  • 『奇蹟のボレロ』
    短篇
  • 「怪奇を抱く壁」
  • 「緑亭の首吊男」
  • 「Yの悲劇」
  • 「髭を描く鬼」
  • 「黄髪の女」
  • 「五人の子供」
  • 「霊魂の足」

〔参考〕

角田喜久雄『高木家の惨劇』
(創元推理文庫『日本探偵小説全集3 大下宇陀児・角田喜久雄集』所収)

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

面白そうですね。近々読んでみようと思います。

学生時代に上石神井に下宿してましたので、西武沿線の風景は懐かしいです。

角田喜久雄は時代物では読んだことがありました。

cogeleau

Eugênio Sibaccio さんのコメント...

cogeleau さん、
いくつかの駅はだいぶ老朽化して駅舎はだいぶ変わりましたが、西武新宿線の沿線の風景は、何十年もあまり変わっていない気がします。良くも悪くも田舎っぽい(笑)