2020/09/05

アルトー『ヴァン・ゴッホ』

そして、黒い鴉の群れが、まるで洪水のように、彼の内なる樹木の繊維のなかに流れ込み、かくして、社会は、
最後に激しく沸き立って彼を押し流し、
彼にとってかわり、
彼を殺したのである。

『ヴァン・ゴッホ 社会によって自殺させられた者』は、アルトーが展覧会で目撃したゴッホの絵画への印象をとっかかりに、ゴッホという一人の画家についてぶちまけた異色の評論である。批評対象よりも、これほど書き手自身の存在を強烈に感じさせる芸術論はない。ゴッホについての鋭い見解もさることながら、アルトー自身によるアルトー論という側面にも、われわれはついつい惹き込まれてしまうだろう。

ゴッホ『鴉のいる麦畑』(1890)

だが、アルトーの激越なリズムは、ゴッホの痙攣とまちがいなく連動している。彼は「ヴァン・ゴッホのあとで、ヴァン・ゴッホの絵を描写しようとは思わない」と述べているものの、アルトーほどゴッホの絵画に渦巻くうねりを文章に置き換えることに成功した文筆家はいないだろう(「置き換える」という表現は適切ではないかもしれないが...)。一切の理論武装を棄て、ひたむきな共感のみを原動力としているにも関わらず、評論からはゴッホの「自我」という「自我」が沸々と立ち上ってくる。

ゴッホがアルトーに憑依したのか。はたまた生者=アルトーが、死者=ゴッホにとり憑いたのか。

以下は、本書から抜粋したアルトーの言葉。

***

人びとは、ヴァン・ゴッホが精神的に健康だったと言うことができる。彼は、その生涯を通じて、片方の手を焼いただけだし、それ以外としては、或るとき、おのれの左の耳を切りとったにすぎないのだ、(p.10)

手を焼いたなどということは、純粋で素朴なヒロイズムです、
耳を切ったのは、なんの回り道も許さぬ論理のせいです。(p.18)

ヴァン・ゴッホは、全生涯を通じて、異様な力と決意とをもって、彼の自我を求め続けた。
もっとも、彼は、この自我に至りつけないのではないかという不安から、狂気の発作に襲われて自殺したわけではない。
それどころか、彼は、その自我に至りつき、自分がいかなる存在であり、何者であるかを見出したばかりだった。そしてそのときに、社会の一般的な意識が、彼が、社会から離れ去ったことへの罰として、
彼を自殺させたのである。(p.20)

そして、黒い鴉の群れが、まるで洪水のように、彼の内なる樹木の繊維のなかに流れ込み、かくして、社会は、
最後に激しく沸き立って彼を押し流し、
彼にとってかわり、
彼を殺したのである。(p.21)

ヴァン・ゴッホの爪に引っ掻かれて、
風景は、その敵意に溢れた肉をあらわにし、
腹をえぐられたようなその起伏の、不機嫌な相貌をあらわにする。
そして一方、何ともわからぬ奇怪な力が、それを変化させているのだ。(p.24)

ゴッホ『ゴーギャンの肘掛椅子』(1888)
私は思うのだが、ゴーギャンは、芸術家というものは、象徴や神話を探究し、生の事物を神話にまで拡大しなければならぬ、と考えていたのだ。
一方、ヴァン・ゴッホは、生におけるもっとも卑俗な事物から神話を導き出すことができなければならぬ、と考えていたのだ。
私には、この点で、ゴッホはとてつもなく正しかったと思われる。
なぜなら、現実とは、いっさいの歴史、いっさいの物語、いっさいの神性、いっさいの超現実性をおそろしいほど上まわっているからである。(p.29)

ヴァン・ゴッホが、この世でもっとも執着していたのは、画家としての観念であった。天啓を受けた人間としての狂信的で黙示的なおそるべき観念であった。
すなわちこの世界は、おのれの母胎の命ずるがままに位置付けられ、広場で行われる秘儀的な祭りのような、圧縮された、反心霊的なリズムをとり戻し、あらゆる人びとのまえでるつぼの過熱状態に戻さなければならぬという観念であった。(p.43)

そうなのだ、ヴァン・ゴッホの絵の中には、幻想もなければ、ドラマもなく、主題もない。対象もないとさえ私は言いたい。なぜなら、モチーフそのものとは、いったい何なのだろう。
もしそれが、なんとも語りえない古代の音楽にあるようなモテットの、冷ややかな影のような何かでないとしたら。自分自身の主題に絶望したあるテーマの、ライト・モチーフのごとき何かでないとしたら。(p.50)

ヴァン・ゴッホは、あらゆる画家たちのなかで、もっとも徹底的に、われわれを剥き出しにした画家である。われわれを形作る横糸までもあらわにし、ちょうど虱(しらみ)でも取るように、われわれのなかから、ある偏執観念をつまみ出した画家である。
事物を別物たらしめようとする偏執観念、他者という危険な罪をあえて犯そうとする偏執観念をである。(p.69)

私は、突き破り、つかみ直し、調べ、引っ掛け、こじあける。だが、私の死んだ生は、何一つ隠しもってはいない。そのうえ、虚無はかつて誰一人苦しめはしなかったのだ。私に内部に立ち戻ることを強いるのは、時として立ち現れて私を沈め去るこの悲しむべき不在なのだ。(p.74)

***

アントナン・アルトー『ヴァン・ゴッホ』粟津則雄訳 (ちくま学芸文庫)
*本書には初期の作品『神経の秤』と『芸術と死』を併録。
Antonin Artaud, Van Gogh le suicidé de la société, 1947

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