2021/09/18

モーリヤック『テレーズ・デスケルー』

われわれの行為、われわれの人生というのは、それを一つだけ切り離そうとすると、無数の根が絡み合って引き裂くこともできない樹木に似ているのだ。 
家族のものは自分を怖ろしい女とみるだろうが、自分には家庭のものこそ怖ろしいと思う。外見には何も表れぬが、あの人たちは自分を次第に滅ぼしていくのだ。

今日の読者は、語り手の叙述に従ってテレーズの側で小説世界を見ているだけでなく、20世紀前半を生きた人々にくらべ、自分がさまざまな精神の病に取り囲まれていることもすでによく知っているから、テレーズが常軌を逸した怖ろしい女などではなく、自分の内にも「テレーズがいる」ということをたやすく感じ取ることができる。

けれども、もし実世界で同じような出来事を目の当たりにしたら、われわれは果たしてテレーズの側に行けるだろうか? そのときはやはり、ごく当たり前のように、ベルナールやその母のような態度や行動をとってしまうのではないだろうか? 家族だけでなくわれわれ社会も、日々粘液のようにまとわりつく情報に操られ、正義を振りかざしてテレーズを(そして罪を犯してすらいない家族をも)糾弾するのではないだろうか?

人間には目に見えない罪というものがあると思います。私は罪人ではないというに思っている人の方が、むしろ、自分は万引きをしてしまったと思っている人よりも、怖ろしいんではないか、そういうふうに私は考えるのです。(瀬戸内寂聴)


〔余談1〕作品の背景には、フランスで実際に起こった事件が垣間見える。

  • カナビー事件 L'affaire Canaby(シャルトロン事件)... 1905年、アンリエット=ブランシュ・カナビーという女性が、夫に砒素を盛って毒殺しようとした嫌疑で告発された事件。翌年行われた裁判では、妻の無実を訴える夫の証言によって殺人未遂ついては罪を免れた。当時20歳だったモーリヤックはこの裁判を傍聴した。
  • ポワティエ女性監禁事件 L'affaire de la « séquestrée de Poitiers »... ブランシュ・モニエという女性が家族(とくに母親)によって25年間も自宅に監禁され、1901年にそれが明るみとなった事件(作中、第12章にある「ポワチエの女囚」のこと)。1930年、アンドレ・ジッドがこの事件を下敷きに小説『ポワティエの幽閉者』を書いている。

〔余談2〕春秋社刊の『モーリヤック著作集』第2巻では、本作を含めテレーズを主人公とした翻訳作品が収録されている。『医院でのテレーズ』(1938)『ホテルでのテレーズ』(1938)『夜の終わり』(1935)...

〔同じ作家の作品〕

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「わたしは自分の罪さえわかっていない。わたしは世間が自分に負わせたような罪を犯す気持ちはなかった。自分でも何をしようとしたかわからないのだ。わたしのなかとわたしの外にある凶暴な力がどこへ向っていくのか自分でもわかっていなかったのだ。その力が進んでいく途中で破壊していくものに、わたし自身が怯えおののいているのだから......」(p.23)

われわれの行為、われわれの人生というのは、それを一つだけ切り離そうとすると、無数の根が絡み合って引き裂くこともできない樹木に似ているのだ。(p.26)

われわれの人生のうちまったく汚れのないあの黎明(しののめ)にも嵐の気配がすでに漂っているのは信じられぬが事実だ。あまりに碧く晴れた朝も午後と黄昏の嵐を告げつ悪いしるしなのだ。(p.28)

言葉だけで嘘をつくぐらい誰だってできる。しかし肉体で嘘をつくのは、別の技術を要した。いかにも欲望があるようにみせかけたり、性の歓びや心地よい疲労を装うことは誰にもできることではない。(p.44)

機知をひめらかすことはむずかしいことじゃない。万事につけて常識をひっくりかえしてみせればいいのだから。(p.75)

家族のものは自分を怖ろしい女とみるだろうが、自分には家庭のものこそ怖ろしいと思う。外見には何も表れぬが、あの人たちは自分を次第に滅ぼしていくのだ。(p.130)

死とはなんだろう。死を知っているのは誰もおらぬ。テレーズは死後の世界が虚無だということについても確信が持てない。死後の世界には誰もいないのだと、絶対に考えることができない。ただテレーズはこのような恐怖を感じる自分を憎んだ。他人をそこに平気で投げ込もうとした彼女が、今、虚無の前に立って後ずさりをする。その卑怯さがひどく恥ずかしかった。(p.134)

「私は望んでいたこと? 望んでいなかったことのほうをいうほうがやさしいわ。わたしはただ人形のように生きたくなかったんです。身振りをしたり、決まり切った文句を言ったり、いつもいつも一人のテレーズという女を殺してしまうようなことをしたくなかったんです。」(p.171)


フランソワ・モーリヤック『テレーズ・デスケルー』
遠藤周作訳(講談社/春秋社)
François Mauriac, Thérèse Desqueyroux, 1927

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