死体刑事登場
この男の名前はカーヴル、ジュスタン・カーヴルで、もちろん《死体》などではない。だが、二十年前に《死体》刑事という綽名がついてからは、それ以後司法警察局で彼のことを話すときはいつでもこの綽名によった。(...) ぎすぎすに痩せていて、顔色が蒼白く、目が窪んだ《死体》のようなこの男は、学校の休み時間に、みんなと一緒に遊びたいのだが、その本心を見透かされないためわざと突っけんどんにして独りぽつんと離れている子供を連想させた。
「死体刑事 L'inspecteur Cadavre」ことカーヴル Cavre はメグレの元同僚で、今は私立探偵をしている。メグレは知り合いの判事に頼まれて、やはり私立探偵のような立場でパリからニオール(*)近くの田舎までやってきたのだが、カーヴルに出くわして驚く。メグレが調査のために村中を歩き回っていると、行く先々にカーヴルが亡霊のように現れる。なかなかインパクトのあるあだ名だが、思ったほどには登場せず、メグレとの直接対決(と言えるほどかどうかはさておき)も終盤にならないと起こらない。シムノンの小説では、死者あるいは不在の者が往々にして生者である主人公に影響を及ぼし、ときには運命を大きく左右するまでに至る。死体刑事にもその名のごとく似たような役割が課されていて、そのためにひんぱんには登場しないのだろうか。
(*) ニオール Niort はフランス南西部ドゥー=セーヴル県にある小都市。シムノンゆかりのラ・ロシェルやフォントネー=ル=コントに近い。
メグレとプルースト?
ときどき取るに足りない些細な出来事が──たいていの場合はかすかに嗅ぎ分けられる匂いなどだが──、瞬時のうちにわれわれの人生のある瞬間を思い出させる。われわれがこの生き生きとした思い出にとりすがりたくなるほど、それはわれわれを鋭く捉える。しかし次の瞬間には、われわれの記憶には何も留まっておらず、たったいま思い出したものが何かを、われわれはもはや語ることができない。記憶の中を手探りしても駄目で、われわれはしまいには夢のおぼろげな記憶ではなかったのか、あるいは前世の記憶──ありえないことではない──ではないかと疑ってしまう。
これはメグレがふと立ち止まって、一見周囲をさまざま観察しているようでいて、実のところは何も見ても聞いてもおらず、自分自身の内面と向き合って、精神の奥底に錨のように深くおろされた記憶を手繰り寄せようとしている場面で述べられる。
このような文章に出くわすと、『失われた時を求めて』のなかの有名な挿話、ひとかけらのマドレーヌのまじった紅茶を一口含んだのをきっかけに想い出が甦る場面など、ついプルーストを思い起こしてしまう。無意識的記憶はプルーストの専売特許ではないかもしれないが、ここに掲げた文章などは、ずいぶんプルーストを意識しているように感じられる。
『失われた時を求めて』の主人公(語り手)は記憶や印象を大事なモチーフとして、これらをいかに叙述するかに心を砕く。メグレはたとえ見知らぬ土地でもそこに佇んでさまざまな印象をスポンジのように吸収し、自分自身のことのように記憶として内面化する。そしてあるきっかけで、記憶を手繰り寄せ結びつけ合うことで事態の真相にたどりつく。これはメグレ警視の捜査手法というより、出来事に真摯に臨む人間としての姿勢、態度といえる......
だいぶ無理のある解釈だとは了解しつつ、こういったところに二人の主人公、延いては二人の作家の共通項を勝手に見出してみるのは愉しい。
物語の本筋に影響はないけれども、邦訳に載っているいくつかの固有名詞のカタカナ表記は、フランス語の発音に近づけると次のようになるような。
- サン・オーバン・レ・マレ ⇒ サン=トーバン=レ=マレ Saint-Aubin-les-Marais(小説の舞台、ニオール近郊に位置する架空の村)
- アルベール・ルテロー ⇒ アルベール・ルタイヨー Albert Retailleau(被害者の名)
サン=トーバンでメグレを出迎えるエティエンヌ・ノオ Étienne Naud も、あるいはノードかもしれない。
Georges Simenon, L'inspecteur Cadavre, 1944
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