メグレの宿敵
『メグレと若い女の死』と同様に、本作『メグレと首無し死体』もまた、メグレらしいメグレ作品の一つと言える。
サン=マルタン運河にかかる歩道橋 Passerelle des Douanes |
舞台はパリ。今回はモンマルトルではなく、10区を流れるサン=マルタン運河で事件が起こる。16区のような高級住宅街ではなく、下町情緒とか庶民的などと形容されるような界隈。刑事連中では若者のラポワントがメグレに随行するほか、法医学研究所のポール医師、鑑識課のムルス(モエルス)らおなじみのメンバーも顔を出す。そのなかでも、今回コメリオ予審判事 le juge Coméliau はとりわけ登場シーンが多い。
コメリオ判事は二、三度メグレのオフィスに電話してきた。コメリオ判事は痩せて、神経質だった。染めたにちがいない褐色の小さな口ひげをつけ、風貌がどこか騎兵隊の士官のようだった。
フランスの刑事訴訟には予備審問制度がある。殺人のような重罪案件について予審判事が正式な公判に付すべきか否かを判断する仕組みで、警察のように捜査したり容疑者を尋問したりする権限もあるらしい。日本にも1947年(昭和22年)まで同じような制度があったそう。コメリオはその予審判事の一人。メグレと対立する人物としてシリーズ中に何度か登場し、メグレに「老いぼれ猿 le vieux singe」呼ばわりされるようにあまり好ましい印象を与えない。「コメリオはメグレの身近な宿敵であり、検事局でもっとも因習的で、もっとも不平家の司法官だった。」
これまでは、何度も報告を要求してくるような少し面倒くさい担当判事の程度でしか顔を出さなかったのが、本作ではその人となりがかなり詳しく語られている。「コメリオ判事はこせこせしていて、形式にこだわり、世論や政府の反応を怖れるだけではなくて、メグレの捜査方法をいつも信用せず、正統的ではないと見なしていた。これまでメグレと判事は何度も正面衝突を繰り返していた。」
ただ口うるさいだけであれば、好ましくはないがメグレもある程度受け流すことができただろう。しかし、彼とは決定的に相容れない部分があり、それがメグレを悩ませ憤慨させる。コメリオは法律家としては優秀なのだろうが、殺人事件のように、動機や精神状態、当事者の背景などが捜査には重要な要素になるにもかかわらず、彼にはそういったものを深く理解する力というのか物の見方がそもそもないらしい。
彼の知識は現実に適用できないところがあると見なさなければならない。彼はある限定された社会の──厳格な主義とさらにそれ以上に神聖なタブーで凝り固まった上流階級の人間だった。これらの主義とタブーとで彼はすべてを判断してしまうのである。
メグレとコメリオのやりとりを見ていたら、かつて仕事で上司と議論を交わし、どんなに説得しても理解してもらえず、こんなにも言葉が通じないものなのかと愕然としたことを思い出してしまった。今振り返ってみると、上司も私も、コメリオのように自分の観点(主義)で物事を見ることにばかり固執し、お互いがどんな基準や価値観にもとづいて判断しているのかを考えてみようとしなかったのかもしれない......
オランダ語版の表紙(ディック・ブルーナによる装丁) |
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運命の修理人
彼[メグレ]がまだ若くて、未来を夢想していたころ、現実生活にはあいにく存在しないような理想的な職業を彼は考えていなかったか? 彼はそのことを誰にもいわなかったし、たとえ独り言にしろ声に出してその職業をいったことはなかったが、彼は《運命の修理人》になりたかったのである。
「運命の修理人 raccommodeur de destinées」といった言葉はシリーズのなかで何度か出てくるが、上掲のように本作ではそれが端的に説明されていて、メグレという人物の単なる形容ではなく、彼自らがそれを志向していることが分かる ──翻っていえば、作者はここでメグレの人物像を定着させようとしたのかもしれない──。メグレが修理・修繕を施す相手は容疑者だけではない。彼らほどではなくても、事件をきっかけに道を踏み外してしまった人間、道に迷ってしまった人間にもメグレの眼差しは向けられる。今回は、ビストロの女将がそれであろう。(そして、本作ではもう一人、いやもう一匹?......)
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