昨2022年、パトリス・ルコント監督の映画『メグレ Maigret 』が欧米で上映され、日本でも今春公開されます(*1)。2019年3月の制作発表の際には、主演のメグレ警視役をダニエル・オートゥイユが演じ、翌年の公開を目指す予定とのことでしたが(*2)、途中で主演はジェラール・ドパルデューに変更になり、おそらくコロナ禍の影響で撮影も遅れ、ようやく昨年2月にフランスで封切りできたようです。
(*1) 2023年3月17日より公開。in 映画公式サイト
(*2)「ダニエル・オートゥイユがパトリス・ルコントの目の前でメグレのオーバーコートを着る」2019年3月5日付「フィガロ」紙の報道。(仏語)
原作は1954年に上梓された『メグレと若い女の死』(メグレと死んだ若い女)。シムノンが北米に住んでいた頃(1945年〜1955年)に書かれた作品です。この時期シムノンは、メグレ警視シリーズ20作以上を始め、『マンハッタンの憂愁』(1946)や『雪は汚れていた』(1948)、『伯母のジャンヌ Tante Jeanne』(1951)、『赤信号 Feux Rouges』(1953)などの代表作を多く執筆しており、作家の最盛期とも言えます。本書も、100作以上に及ぶメグレ警視シリーズのなかの十指に数えられるのではないかと思ったりします。
(小説のイントロダクション)
3月のパリ。憂欝な雨の降る深夜。モンマルトル界隈の静かな一角、ヴァンティミーユ広場で若い女性の遺体が発見される。メグレが到着すると、現場には所轄の刑事ロニョンの姿もみられた。死んだ女性は青白い繻子(サテン)のイブニングドレスを着ているが体に合っていないようだ。身分証もハンドバッグもなく身許がわからない。そして、まだ肌寒い季節だというのにコートも羽織っていなかった。状況からみてここは殺害現場ではなく、どこか別の場所で殴り殺されたらしい。「なぜだかわからないが、メグレにはこれがかなり複雑な事件になるような気がした。」
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メグレ警視シリーズではよく、フーダニット(犯人は誰か)よりもハウダニット(どうやって犯罪を実行したか)のほうに注目がゆく印象ですが、さらに言えば、メグレが最も重きを置くのは、被害者がどんな人物でなぜ殺されなければならなかったのかを識ること、感じ取ることのほうにある気がします。本書はそのプロセスが最も丹念に描かれている作品の一つで、それだけに憐れな被害者に寄せるメグレの心情にも並々ならぬものを感じさせます(*3)。
(*3) 一方で、あくまで推理小説として本作を読むと、事件解決までの捜査の成果が必ずしも丁寧に積み上げられておらず、犯人像が浮かび上がるまでのプロセスが説得力に欠ける印象も感じます。
「無愛想な刑事」ロニョンが活躍するのも本書の魅力の一つ。一見くたびれた所轄の一刑事のようですが、メグレも認める優秀な捜査官です。ロニョンは自分なりの捜査を一人黙々と進め、メグレたちが組織として捜査を重ねてようやく判明した事実の一端に、一足先に辿り着いたりします。けれども、あるときふと、ロニョンの行方が分からなくなり、メグレは彼を心配することに。そして最後、メグレが事件の真相に行き着いた一方で、ロニョンは辿り着けなかったのですが、それは決して、組織による捜査に比べたときの単独捜査の限界だけではありませんでした。原作では、刑事として、またそれ以上に人間としてのメグレとロニョンとの対比も見どころです。
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残念ながら、今回の映画ではロニョンの姿はみられないようです。シリーズを翻案したドラマや映画を観ていると、映像化の際にもロニョンは脇に置かれてしまう可哀想な役回りらしい...... とはいうものの、映画の公開が楽しみです。ちなみに、公開に先立って、本書の新訳が早川書房から出版されるそうです(*4)。旧訳では固有名詞の表記がまちまちだったり日本語の表現として今ひとつの箇所があったりと、推敲の足りないところが見られましたが、新訳は期待できるのではないかと密かに思っています。
(*4) 「メグレと若い女の死〔新訳版〕」 in 早川書房サイト
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