2022/05/07

シムノン『雪は汚れていた』

主人公フランク・フリードマイヤーの暗いまなざしは、ドイツ軍占領下の青年の絶望的な状況を代表しているというより、むしろあらゆる時代の、青年の鬱屈した心情の表現とみるべきだろう。(訳者あとがきより)

この小説を読んで、カミュの『異邦人』の主人公ムルソーのイメージが、フランクと重なり合った読者も多いのではないかと思います。非常に冷静に世界を見通しているようでいながら、論理性が欠けている青年たちの行動に、一脈相通ずるところがあります。

『異邦人』ではムルソーの視点を透して小説世界が繰り広げられる一方、『雪は汚れていた』は三人称形式で語られます。そのため、一人称小説である前者のほうが、より内省的な物語であろうと思うのですが、何事も他人事のようなムルソーの心理はむしろ外部からのまなざしで描かれています(*)。

(*) 原文(フランス語)ではさらに、複合過去 passé composé を用いることで主人公ムルソーの主観が強調されていますが、読者からすれば、他人の日記を読むように、かえって自分とは異質の人間の独白として聞こえてくる気がします。

『雪は汚れていた』のフランクの心理的変遷は、三人称によって、外から観察されているようで、その実非常に生々しく迫ってくるものがあります。文体も作風も異なることはもちろん、灼熱の陽光が降り注ぐ北アフリカと、雪の降り積もるヨーロッパ(おそらくベルギーのどこか)という風土の違いも、物語の運びや主人公たちの心理の描き方に何か影響しているのではないかと感じたりもします。

錯綜する心理状況を細やかに分析しながらも、確固たる骨組みに支えられた物語進行に、これまで安心してシムノンの小説を読んできましたが、奥深い内的省察が先立つ『雪は汚れていた』に、少々面喰ってしまいました。アンドレ・ジッドが称賛したのも頷ける気がします。

ところで、フランクはゾラの小説を読んでいましたが、何を手にしていたのでしょう。『獣人(人の獣性)』だったのではないか、などと想像してみました。

(2008/1/12)

〔参考〕


ジョルジュ・シムノン『雪は汚れていた』
三輪秀彦訳 (ハヤカワ文庫、集英社)
Georges Simenon, La Neige était sale, 1948

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