2023/01/14

ゾラ『テレーズ・ラカン』

私は『テレーズ・ラカン』で、性格ではなく、体質 tempéraments を研究しようとした。この本のすべては、この点にある。あくまで神経と血にもてあそばれる人物を選んだ。かれらには自由意志はない。その日その日の行為は、いつでも宿命的な肉体の本能に左右されている。テレーズとローランは人獣 brutes humaines であって、それ以外のなにものでもない。(「再版の序」より)

テレーズとローランの情念と恐怖が渦巻く物語。こういったことを描く小説は、たいてい登場人物の心理に焦点をあて、その状態や移り変わりを叙述することが多いが、ゾラは「体質」にもとづいて『テレーズ・ラカン』を書いたという。感情の起伏が激しいとか神経質といった生来の体質が登場人物の感情や行動のすべてを統御する。心理描写が等閑されているわけではないものの、ゾラにとっては内面のダイナミクスよりも、体質のいわば化学反応に弄ばれる人間の様子、外側から観察できる動きのほうが最大の関心事のようである。当時(1867年に出版)としては、ずいぶん斬新で挑発的な作品だったのではないかと思う。

それにしても、ゾラの描写力は凄い。テレーズと夫のカミーユ、ローランの三人でパリの郊外サン=トゥアンで舟遊びをする場面は、迫真のサスペンス・ドラマを観ているようだし、テレーズとローランが再婚してから最初に迎える夜の寝室は、エドガー・アラン・ポーさながらのゴシック・ホラー空間ではないか。小説後半、最終局面に至るまでのプロセスにやや冗漫な印象を抱いたものの、19世紀フランスを代表する作家の初期作品に十分にふさわしい小説だと思う。

〔画像〕マルセル・カルネ監督の映画『嘆きのテレーズ』(1953)のポスター。シモーヌ・シニョレ主演。


エミール・ゾラ『テレーズ・ラカン』小林正訳(岩波文庫)
Émile Zola, Thérèse Raquin, 1867

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