「あんたは何をしようとしてたの?」
「何でもよ。わたしは自由な女になりたかった。自惚れてたのね」
57歳になった今、ジャンヌは郷里近くの都市ポワティエの駅に一人降り立つ。彼女は疲労困憊している。人生の重みに耐えきれなくなりつつあり、終の住処を探している。家業を継いでいる弟のロベールに頼ろうと故郷のポン=サン=ジャンまで戻ってきたのだが、すぐに実家を訪れる勇気はなく、橋を渡った向こう側にある宿に泊まる。宿では寄宿学校時代で一緒だったデジレに再会し、甥のジュリアンが交通事故で最近死んだことを知らされる。
翌日、ジャンヌは決心して実家の戸を叩く。出迎えたのはロベールの妻ルイーズだった。日曜のミサで教会から帰ってきたばかりの様子である。ルイーズはロベールを呼ぶが返事がない。ルイーズとジャンヌは会話をしながら家中を探すもののやはりロベールは出てこない。そして、ルイーズが屋根裏部屋を覗くと、そこにロベールが首を吊って死んでいるのが見つかる......
***
ジャンヌは弟と生きて再会することができず、弟の妻は半ば狂乱状態で部屋に閉じこもってしまう。死んだ甥の妻アリスは赤ん坊の世話にうんざりしており、家の中で死者が出たというのにどこか無関心な様子。この一大事にもう一人の甥アンリと姪のマドレーヌ(マド)は朝から家にいない。どうもマルティノー家は、だいぶ前から家族同士の心が離れて荒んでいるらしい。前日には女中も逃げ出している。
安住の場所を求めて実家に戻ってきたのに、ジャンヌの心は休まることがない。しかし、ジャンヌはこの衝撃的な出来事を目の当たりにし、かえって奮起する。医者を呼ぶ、葬儀の手配をする、アリスに代わって赤ん坊の世話をする、台所を中心に荒れ放題の家中を整える、車が故障して困っていると電話してきたアンリにさきほど起こったことを告げ、気を確かに持って帰宅するように諭す...... ジャンヌは家の再興を図るかのように八面六臂の活躍をみせる。彼女を駆り立てるものは一体何なのだろうか?
女性が主人公の物語だが、小説の雰囲気や建付けが大きく変わることはないようだ。とはいえ、ほかの小説の男性主人公と性格がだいぶ異なるからなのか、ジャンヌ伯母さんの奮闘ぶりは応援したくなる。孤独に苛まれていたルイーズやアンリ、そしてマドの心を解きほぐしていくところには、「運命の修繕人」メグレの姿が重なる。小説の中の描写から推し量る限り、外見にはあまり惹かれない人物だが(*)、シムノンの描くくたびれた主人公たちのなかでは、かなり魅力的なほうではないかと思う。それだけに、物語の結びには心動かされるものがあり......
(*) ジャンヌは満月のように丸い顔で、その年齢の女性によくみられる太めの体型のよう。脚を悪くしていて、小説の後半では脚の腫みがひどくなって起き上がれず、ベッドでさまざまな人々と会話する場面が繰り広げられる。
もしも日本で映像化できたとしたら、おばちゃんぷりの演技がすっかり板についている松坂慶子さんあたりが、ジャンヌ役にはピッタリかもしれない。ちょっと美人すぎるかな......
趣きも展開も異なるけれど、本作の主人公の名をジャンヌとしたのは、モーパッサンの『女の一生』に着想を得たからなのだろうか? 波瀾万丈な人生を送るジャンヌ......
Georges Simenon, Tante Jeanne, 1951
2 件のコメント:
すぐれたレビューだと思います。
読んでみたい本はどんどん増えるので、自分自身が本に埋もれて死んでしまいそうです。
書名タイトルは「ジャンヌ叔母さん」の方が好みです。
cogeleau さん、どうもありがとうございます。
シムノンが女性が主人公にした物語に興味がわいて読んでみました。
去年、邦訳が出た『運河の家』も、主人公は女性でした。
コメントを投稿