2024/12/14

シムノン『ロニョン刑事とネズミ』

死体が持っていた財布の十五万フランを狙う浮浪者”ネズミ”。彼に不審を抱くパリ九区担当のロニョン刑事。遺失物扱いされた財布を巡る事態は思わぬ展開を見せ始める。煌びやかな花の都パリが併せ持つ仄暗い世界を描いた〈メグレ警視〉シリーズ番外編! (内容紹介より)


メグレ警視シリーズのなかのいくつかに出てくる名物刑事ロニョンが初めて登場する作品で、すでに「無愛想な刑事 l’insptecteur malgracieux」のあだ名も付けられています。訳者あとがきにもあるとおり、この作品は1937年に新聞で連載され、翌年単行本が刊行されています。ところで、メグレが登場しない一連の小説は「ロマン・デュール(硬い小説)」と呼ばれていますが、本作には軽妙で自由な雰囲気が感じられ、メグレがひょっこり顔を出したとしても何の違和感もないように思います。    

ある時期、シムノンはメグレ警視シリーズを止め、ロマン・デュール作品の執筆に力を注いでいました。1931年に始まったメグレ・シリーズは大人気を博したにもかかわらず、1934年、19作目『メグレ再出馬』で一旦完結します。その後しばらくシムノンは、運命に翻弄される人間に焦点をあてた、より重厚でシリアスな小説を書きまくります。1941年までの7年間に限っても、30〜40作ほどが産み出されています。そのなかには『ドナデュの遺書』や『人殺し』『港のマリー』『汽車を見送る男』など邦訳されたものもあります。

世界観がとても近しい(というよりは同じ?)にもかからわず『ロニョン刑事とネズミ』にメグレが出てこないのはなぜか。物語自体に則してみれば、「ネズミ」と呼ばれる浮浪者が主人公として十二分に振る舞い、ロニョン刑事というアクの強い人物も副えているので、メグレを出馬させるほどではなかったのでしょうか。この作品が「はざま」の時期に書かれたことも理由に挙げられるかもしれません。シムノンはメグレと決別したかったのでしょうか?

作家としては書きたいものが書けて充実した時期だったと思われるものの、ロマン・デュールはメグレほどの商業的な成功をもたらさなかったからなのか、実はシムノンは早々にメグレを再開しています。『ロニョン刑事とネズミ』が発表された前年の1936年から年明けにかけて、週刊新聞紙上で「ボーマルシェ大通りの事件」「首吊り船」「開いた窓」「死刑」「蝋のしずく」「ピガール通り」「月曜日の男」それから「メグレの失敗」と、短編ではあるものの立て続けにメグレ作品を連載しているのです。つづいて長編『メグレとマジェスティック・ホテルの地階』が1939年の暮れ頃に執筆され、翌年に別の週刊新聞に連載しています。1942年には『メグレ帰還する』のタイトルで、『メグレとマジェスティック・ホテルの地階』『メグレと判事の家の死体』『メグレと死んだセシール』の長編三作を合本で刊行し、以後、途中出版社を代えながらもメグレ警視シリーズは1972年まで続きます。

パリの情景が自由自在に描かれる『ロニョン刑事とネズミ』は、ロマン・デュールの系譜に連なるというよりは、やはりメグレ警視シリーズの番外編に近く、長編メグレの復活を予告する作品だったのかもしれません。


〔参考〕


ジョルジュ・シムノン『ロニョン刑事とネズミ』宮嶋聡訳(論創社)
Georges Simenon, Monsieur la souris, 1938



2 件のコメント:

vcemoulu さんのコメント...

Sibaccio さん、
『番外編』ということで、いい情報をありがとうございます。近いうちに読んでみたいという気になりました。
今私が読み進んでいる「メグレとひとりぼっちの男」も浮浪者のテーマです。
円安もあって洋書は買えないでいましたが、最近米国のネット図書館 Internet Archive で無料閲覧が可能(登録要)になったので重宝しています。この「ネズミ氏」もシムノン全集(Tout Simenon)の第21巻にありました。オムニバス社のシムノン全集は「メグレ」も「非メグレ」も一緒くたになって「小説作品」(Œuvre Romanesque)としてまとめられています。私も「非メグレ」の作品を2~3読んでみたことがありますが、Dur ではなかったのもありました。ほとんどがネットで読めるので、懐具合を気にせずに読みまくれればいいのですが・・・
cogeleau

Eugênio Sibaccio さんのコメント...

cogeleauさん、コメントありがとうございます。
リュカ(警視に昇進していますが)やジャンヴィエも出てきます! メグレが非番中か退職済み、もしくは地方勤務時代の出来事なのかもしれません(笑)
Internet Archive は、サン=サーンスのことを調べたときに百年以上前の資料を閲覧したりと、私も利用したことがありますが、なんとシムノンも読めてしまうのですね。今度のぞいてみます。
最近、またシムノンを読んでいます。«Tante Janne»のような、女性が主人公の小説に興味があり、先日は«Marie qui louche» を読みました。