本書に収められた22篇の主人公たちは、あまり見慣れない名前ばかりだが、意外にもそのほとんどが歴史上に実在した人々だ。例えばキャプテン・キッドやポカホンタスは、彼らがどんな人生を歩んだのかは知らずとも、その名は人口に膾炙しているだろうし、西洋哲学を知る者はルクレティウスに、ルネサンス美術に精通していればパオロ・ウッチェッロに目が向くかもしれない。
けれども、ここにある伝記は、いわゆる「伝記」つまり実証的な個人の歴史ではない。歴史の主潮からは外れた人々への共感から始まって、シュオッブは卓越した博識を糧に豊かな想像力を用いながら、彼らの名のもとに新たな歴史=物語を作り出している(*1)。想像上の人生もろもろ Vies imaginaires 。「歴史は個人については確実なことを教えてくれない。」(p.9) そこには「何某は何年のどこかしこで何をした」という伝記的事実(それが本当に事実であれば)の羅列よりも、「何某はかく考えた・感じた」に主眼を置いた、本来の人間的な行動や言動が活き活きと書かれている。このような試みは、ボルヘスが書いた小説などにも息づいているように思う。
(*1) シュオッブ著の『擬曲 Mimes 』も、古代ギリシャの詩人ヘーローンダースへの共感と敬意から発した独創的で高度な「ものまね mimos 」なのではないかと。
- 神に擬せられたエンペドクレス
- 放火犯ヘロストラトス
- 犬儒家クラテース
- 呪術師セプティマ
- 詩人ルクレティウス
- 淫蕩な貴婦人クロディア
- 小説家ペテロニウス
- 土占い師スーフラー
- 異端修道士ドルチーノ
- 怨念の詩人チェッコ・アンジョリエリ
- 画家パオロ・ウッチェッロ
- 裁判官ニコラ・ロワズルール
- レース作りのカトリーヌ
- 兵士アラン・ル・ジャンティ
- 俳優ゲイブリエル・スペンサー
- 酋長の娘ポカホンタス
- 悲劇詩人シリル・ターナー
- 宝探しウィリアム・フィップス
- 海賊キャプテン・キッド
- 文盲の海賊ウォルター・ケネディ
- 気まぐれ海賊ステッド・ボニット大佐
- 人殺しバーク、ヘアー両氏
Googleでざっと検索してみたところ、確かにほとんどが実在した人物。確認できなかったのは...
- 「淫蕩な貴婦人クロディア」:古代ローマの護民官プブリウス・クロディウス・プルケルの姉妹?
- 「レース作りのカトリーヌ」:ヴィヨン詩に出てくるらしいが。
- 「兵士アラン・ル・ジャンティ」:わからず。
後半は海賊が多い(19,20,21)。短篇集『黄金仮面の王』の「フルート」「眠れる都市(まち)」にも、海賊が登場する。いわゆる世間のはみ出し者に憧れや共感を抱いていたらしいシュオッブの一面。やはりその博覧強記を武器に壮大な幻想を創り上げたボルヘスが、ガウチョをテーマにした作品を少なからず書いたのも、やはり同じような心性が働いたからなのか、シュウォッブへのオマージュなのだろうか。
マルセル・シュオブ『架空の伝記』(シュオブ小説全集第三巻)
大濱甫訳 (南柯書局)
Marcel Schwob, Vies imaginaires, 1896
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