真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい視点を持つことである。 -Marcel Proustあれ、プルーストはこんな言葉を吐いていたかしら?と調べてみたら、第五篇にありました。
ただひとつ正真正銘の旅、若返りのための唯一の水浴は、新たな風景を求めて旅立つことではなく、ほかの多くの目を持つこと、ひとりの他者の目で、いや数多くの他者の目で世界を見ること、それぞれの他者が見ている数多くの世界、その他者が構成している数多くの世界を見ることであろう。エルスチールを伴にすれば、ヴァントゥイユを伴にすれば、それと同等の芸術家たちを伴にすれば、われわれにはそれが可能になり、文字どおり星から星へと飛行できるのである。第五篇《囚われの女 II》吉川一義訳(岩波文庫, pp.155-156)
Le seul véritable voyage, le seul bain de Jouvence, ce ne serait pas d’aller vers de nouveaux paysages, mais d’avoir d’autres yeux, de voir l’univers avec les yeux d’un autre, de cent autres, de voir les cent univers que chacun d’eux voit, que chacun d’eux est ; et cela, nous le pouvons avec un Elstir, avec un Vinteuil ; avec leurs pareils, nous volons vraiment d’étoiles en étoiles.
CMの方はずいぶん都合良く端折っているようで。「ほかの多くの目を持つ avoir d’autres yeux」とは述べていますが、「新たな視点(新しい目)を持つ avoir de nouveaux yeux」はとするのは意訳というよりは拡大解釈ではないかと感じます。インターネット上でも同じような一文が広まっているようです。ちなみに、文中にある「それと同等の芸術家たち」とは、小説のなかで多く言及されている実在した芸術家や、「エルスチール」や「ヴァントゥイユ」など、小説の中の芸術論を支える架空の画家、音楽家たちのことを指します。
名言流行りの昨今、原文の意図には心を配らず、こういう一行だけで「何か得た」「胸にささった」気分に浸る人がわりと多い気がします。本当にそれで良いのかな。それとも俳句や短歌のように、数少ない言葉でいろいろな行間を感じとる文化の国だから? などと思いました。私も名言は大好きですが。
〔参考〕プルースト『失われた時を求めて 11 囚われの女 II』吉川一義訳(岩波文庫)
〔編集履歴〕引用の翻訳を集英社版から岩波文庫版に変更(2019年9月)
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