料亭の令嬢から芸者に身を落とした女と前途有望な画家との悲恋の物語。そのなかで一風変わった場面があって面白かった。
停車場(ステイション)近くで、往来の足は繁し、まだ暮果てたほどではないので、人顔も判然分る。で、助船を呼んで見たが、其の無駄な事に気が付いた。御存じの四方硝子(ガラス)で、もしもしなんぞは根っから聞こえぬ。
横浜の元町公園に設置された復刻の電話ボックス |
「御存じの四方硝子」とは電話ボックスのこと。当時は「自働電話」と言ったらしい。画家が、恋人と会う約束を取り付け、さて待ち合わせ場所に急ごうと自働電話を出ようとしたら、把手が壊れていて扉が開かない。「好事魔多し」で閉じ込められてしまったのだ。次第に不穏な結末が案じられる最中、物語が急展開を見せ始める直前でのこの場面。思わず吹き出してしまった。
日本初の電話ボックスが京橋に設置されたのは1900(明治33)年のことで、この小説が発表された9年前。鏡花は決して懐古趣味の作家などではない一端がうかがえた。ちなみに、電話は小説中のほかの場面でも重要な役割を果たしている。
泉鏡花『註文帳・白鷺』(岩波文庫)
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