アナトール・フランスの『シルエストル・ボナールの罪』は一生娶(めと)らず、書籍を友として書斎に老いる学者を主人公とした作品である。従って書物は全巻の随所に出て来る。(...)
この小説に出て来る書物は、われわれの知らぬものばかりである。しかし古今東西を通じて渝(かわ)らぬ書物愛好者気質(かたぎ)は、全篇ににじみ出ている。書物そのものを主材にした小説として、『薪』は最もすぐれたものの一つであろう。
(柴田宵曲「書物を題材とした作品」,『書物』より)
アナトール・フランスの名は芥川龍之介が傾倒した文豪として、『失われた時を求めて』に登場する架空の作家ベルゴットの主要なモデルとして、文学史の中の「過渡期」というやや冷遇された場所で、以前から聞き知ってはいたけれど、その作品を実際にひもとく機会はずっと逸したままだった。本屋の片隅にその名をみとめても、他の作家に目を奪われて後回しにしてきたのだ。
ついに彼の作品を初めて読むことができたのは、冒頭に掲げた柴田宵曲による随筆のおかげだ。渾身こめて力説しているわけではなくあらすじや見所を淡々と述べている程度なのだが、随筆集ではもっぱら日本の書物が取り上げられるなかで『ボナールの罪』に紙幅を割いており、それ相当に推薦の書なのだと感じた次第。実際に読んだところでも、妙のある翻訳があいまって、期待が裏切られることなく隅々まで堪能することができた。これまでの読書経験を思い返してみれば、期待どおり・期待以上というのはなかなか珍しいケースであったと思う。
宵曲が解説するとおり、第1部の『薪』は愛書家を扱ったすぐれた小説だと思う。酔狂な愛書家を主人公にその性分が良く書かれているし、書物の知識だけでは人間の心は分からないということも忘れずに謳っている。第2部『ジャンヌ・アレクサンドル』では書物は二の次ではあるけれど、やはり主人公と書物との関係が物語の鍵となっていて面白い。作家の出世作だけのことはある。(それにしても、小説の顛末だけがいまいち解せないのは、私だけだろうか?......)
〔参考〕森銑三・柴田宵曲『書物』(岩波文庫)
アナトール・フランス『シルヴェストル・ボナールの罪』
伊吹武彦訳 (白水社・岩波文庫)
Anatole France, Le Crime de Sylvestre Bonnard, 1881
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