そして、私は、愛しているものについて語るのがどんなにむずかしいことか、改めて思い知らされます。愛しているものについては何といえばいいのでしょう。私は愛しているという以外に、そして、それを際限なく繰り返す以外に。(p.213)
学生研究室に入ると、ミチヲがひとり、紫煙をくゆらせながら本を読んでいる。いつものように、手にしているのはロラン・バルトの著作だ。きみが近くに座ると彼は小さく微笑みをかけ、灰皿の縁に煙草を置く。
ミチヲは決して内向的な性格ではないが、声が小さく、ときどき何を言っているのか分からない。しかも、彼の口の端から出てくるのはきみにとって埒外の言葉ばかりで、聞こえたとしても理解するにはなおほど遠い。けれども、ミチヲは穏やかに嬉しそうにしゃべる。きみはその微笑みを消したくないので、適当に相づちを打ちながら、話に聞き入る。
ミチヲは同じ声の大きさ・トーンで訥々と話す。だが、話題がロラン・バルトの話に移るやいなや、ごく些細だけれども彼の声に変化があらわれる。音量が増えたわけでもなく、響きが出たわけでもない。抑揚なのか、声の質なのか。ミチヲの顔は少し赤味が帯びているが、それは少し前からのことだ。でも、確かに声に違いがみられる。声に潤いが増した、声の肌理が変わった、というのだろか。そう思うと、あいかわらず声は小さく難解な語が飛び出してくるにもかかわらず、きみはミチヲの言葉がやおら飲み込めるような気がしてくる。強調しようとするフレーズには輪郭がくっきりと浮かび上がってくる。きみはいつのまにか音楽を楽しむような心地に浸っている。灰皿の煙草は、すっかり灰と化している。
冬の星空の下、きみはひとり、駅までの道を歩いている。バンヴェニスト、クリステヴァ、エクリチュール、意味形成性、第三の意味...... 冷えた空気を顔に感じながら、 そういった言葉の数々を思い出す。羅列すれば脈絡もなく、気取っていて、そっけなく聞こえるこれらの記号も、ミチヲの声が運んできたことで何か特別な形、記号が示す意味や音とは別の何かを含んだような形で、脳裡にそっと焼きつくように感じられる。それは、どんなにたくさんの星が瞬いていても、夜空が決して塵芥の散らばった布切れや絨毯などと比べられたりしないように。無秩序にばらまかれた記号と記号の間には、星座のごとく神秘的だが幾何学的で、無限の意味と解釈をこめることのできる線が結ばれるように。
さっき彼が手にしていた本には、ロラン・バルトが煙草に火をつけるところの写真が載っていた。脳裡にはミチヲの表情と重なってみえる。やがてきみは、電灯が白々ときらめく駅にたどり着く。
ロラン・バルト『第三の意味』沢崎浩平訳 (みすず書房)
Roland Barthes, L'obvie et l'obtus (1982)
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