2016/05/07

ビュトール『時間割』

『時間割』は、物語が日記の形式で展開する小説だ。5月1日の木曜に始まり、9月30日の火曜に終わる。ただし、日記の書き手(主人公のジャック・ルヴェル)は、必ずしもその日その日の出来事をつづってゆくわけではない。

  • 5月の日記では、その七ヶ月前、前年の10月に起こったことを振りかえる。
  • 6月の日記では、その七ヶ月前、前年の11月に起こったことを振りかえる。
    • それと同時に、書いている現在(に最も近い過去)の6月のことが叙述される。
  • 7月の日記では、その七ヶ月前、前年の12月に起こったことを振りかえる。
    • それと同時に、書いている現在(に最も近い過去)の7月のことが叙述される。
      • さらに、日記を書き始めた5月の出来事も介入してくる。
  • 8月の日記では......

こうして複数の時間が重なるに従って、小説は構成上複雑な様相を呈してくる。まさに迷宮 labyrinthus である。書き手はあくまで反対の方向、つまり「謎」を解明せんがため(迷宮に謎は付きものである)、ひたすらこの日記を書き続けるのだが、こういう状況を自分で招いたがゆえに、書き手の探求もますます入り組んでゆく。(実際には、入念に仕組まれた時間構造上に組み立てられており、丹念に読み解けば決して複雑な小説ではないようだ。本書の解説500頁参照。)

ビュトールは、この小説の作品構造を音楽形式の一つである「カノン」にたとえている。しかし、複数の声部が異なるタイミングごとに現れ積み重なっていく様相を思い浮かべるだけでは、足りない。二重三重にかさなったときの組み合わせの妙も、意識したい。つまり、それぞれの声部(複数の時間)の性格を保ちながらもこれらを調和させる技法、「対位法」も、作家の念頭にあったのではないかと思う。同じ過去を繰り返し見直す=主題を変奏するあたりは、「フーガ」のほうがたとえには相応しいかもしれない。

そうは言うものの、『時間割』は一筋縄ではいかない。直線的に展開しない一年の物語が、五ヶ月間の日記の中に、ジグソーパズルのピースのようにいくつもの断片となってちらばっている。これらの断片を丹念に拾い上げ、物語を再構築するという作業に労力を惜しんでしまうと、迷宮からの脱出は困難をきわめる。しかも、仕上がるであろう物語は、断片から推測する限り、必ずしも目を見張るような名画ではないかもしれない(名画が必ずしもジグソーパズルのモチーフに適しているわけではないことも、事実だが)。なかなか面倒くさい、それゆえに気になる小説だ。


ミシェル・ビュトール『時間割』清水 徹訳 (河出文庫)
Michel Butor, L'emploi du temps, 1956

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