《錯乱した記憶》と《鏡のなかで》がとくに険しい山々で、ひっかかるところはゆっくりと、あるいは繰り返して読んでみたところで、頭の上の「?????」が「??...?」ぐらいにしかならず、首が傾ぐばかり。思わず、博士論文を再構成されたという研究書を買って、これを解説書代わりにして分かった気になってしまったが...
というわけで、難解な印象はあるのだけれども、自分では言葉にできなかったことを的確に語ってもらえたという救済感のようなものを、デ・フォレの文章に感じる人は少なからずいるのではないかと感じる。《子供部屋》はサスペンスな小説としても楽しめる。
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以下、『おしゃべり』より。
きみたちは滑稽に見えるのを怖れるだろうが、きみたちがどれほど良心的に内面とやらを吐露してみせたところで、かならずその告白のなかにはどうにも押さえようもなく反語がしのびこんきて、のさばってしまうことになる。 (p.14)
まったくもってぼくには不思議だね、真実なんてものは、たいていの場合、人間たちにはどうしようもないものなのに、人間どもはどこから真実への崇高なる志向を汲みとってきたのだろう(…) (p.31)
ところで、かくいうぼくは、ひとりの人間なのか、亡霊なのか、それとも無なのか、完全になにものでもないのか? こうやってきみたちを相手に長々とおしゃべりをしてきたために、このぼくはいくらか実態を備えてきただろうか? (...) ぼくには舌以外の器官があると、きみたちは想像しているだろうか? このぼくと、いまこれらの文字をつくりだしつつある右手の所有者とを同一視することが読者にできるのだろうか? どうして、それがわかろう? (p.121)
〔収録作品〕
- おしゃべり Le Bavard
- 子供部屋 La Chambre des enfants
- あるオペラ歌手の華麗な瞬間 Les Grands moments d'un chanteur
- 子供部屋 La Chambre des enfants
- 錯乱した記憶 Une memoire démentielle
- 鏡のなかで Dans un miroir
〔参考〕
- 佐藤典子『ルイ=ルネ・デフォレ—「読むこと」という虚焦点 』(水声社)
ルイ=ルネ・デ・フォレ『おしゃべり/子供部屋 』清水徹訳(水声社 )
Louis-René des Forêts, Le Bavard (1946),
La Chambre des enfants (1960)
La Chambre des enfants (1960)
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