2017/07/01

ヴァントゥイユの七重奏曲 (1)

ところが正午になり、一時的に焼けつくような陽射しが照りつけると、その約束は、重苦しい、鄙びた、田舎らしい幸福となって果たされるかと思われ、その幸福においては、狂ったように揺れて鳴り渡る鐘の響きが[...]、きわめて重厚な歓喜を具体化しているかに感じられた。
第五篇《 囚われの女 II》岩波文庫, p.138

ヴァントゥイユがフランクふうの偉大な音楽家を象徴しているように[…]
(プルーストの書簡より)

もしヴァントゥイユの「七重奏曲」が実在したら、それは一体どんな音楽であっただろう。

ヴァントゥイユは、プルーストの小説『失われた時を求めて』に登場する架空の音楽家で、田舎のしがない音楽教師として一生を過ごした人物。作曲家としてはピアノとヴァイオリンのための「ソナタ」を一つだけ完成させて、この世を去る。だがその後、ヴァントゥイユの手によって作られたとおぼしき別の作品が、第五篇『囚われの女』の後半、ヴェルデュラン夫人の夜会で演奏され、主人公を魅了する。それが「七重奏曲」である。

ヴァントゥイユは誰をモデルにして造り上げられたのかが関心を呼ぶように、誰のどのような作品を念頭に置いて七重奏曲を構想したのかも、とても興味深い。草稿段階の構想から最終的に七重奏曲が生み出されるまでの生成過程を考察した研究によれば、プルーストはいくつかの実在の作品に言及しているらしい。

  • ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第12番変ホ長調
  • シューマン:『子どもの情景』第12曲「子どもは眠る」
  • シューマン:『ウィーンの謝肉祭の道化芝居』
  • フォーレ:ピアノ四重奏曲第1番ハ短調
  • フランク:オルガンのための6つの作品より「前奏曲、フーガと変奏」
  • フランク:ピアノ五重奏曲ヘ短調
  • フランク:ヴァイオリン・ソナタイ長調
  • フランク:交響曲ニ短調

晩年のプルーストがベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲を愛好していたことはよく知られているが、これをみると、セザール・フランクの存在も大きい。しかし、フランクの名は第四篇『ソドムとゴモラ』あたりで数箇所、その名はちらりと出てくるのみである。

フランクは生前パリ音楽院の作曲科教授にあり決して無名ではなかったが、作曲家としての評価は晩年から死後にかけて大きく高まった人である。プルーストがフランクの音楽に抱いた感動や印象も、ワーグナーやベートーヴェンのようにその名を挙げて直接語るのではなく、ヴァントゥイユという架空の人物に大部分重ねられているのではないかと思う。いずれにしても、小説を読んだだけでは、プルーストがフランクの作品を深く敬愛していた事実にはなかなかたどり着けない。

ところで、『失われた時を求めて』の映像作品などに触れると、BGMにはドビュッシーやラヴェルがよく流れてくる。もし作家の背景を重視するのなら、ワーグナーそしてフランクの音楽も欠かせないだろう。(つづく

〔画像〕David Richardson さんによるヴァントゥイユの肖像 in Resemblance: The Portraits & etc
〔参考〕
  • マルセル・プルースト『失われた時を求めて11 囚われの女 II』吉川一義訳(岩波文庫)
  • マルセル・プルースト『失われた時を求めて12 消え去ったアルベルチーヌ』吉川一義訳(岩波文庫)
  • 斉木眞一『一九一三年のプルーストと音楽』in 「思想」2013年11月号「時代の中のプルースト」(岩波書店)
  • 真屋和子『プルーストとベートーヴェン』in 「藝文研究」2011年12月号(慶應義塾大学藝文学会)in 慶應義塾大学学術情報リポジトリ(KOARA)
  • 原潮巳『ヴァントゥイユの音楽の鍵』 in 「ユリイカ」2001年4月号「特集プルースト」(青土社)
  • 原潮巳『プルーストと音楽 ─ヴァントゥイユの音楽における演奏者の地位』(1988) in CiNii 論文 


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