無駄のない詩的な文章はとても美しかった。ただ、物語には今ひとつ馴染めなかったというか、腑に落ちないところがあった。
フランス語版表紙 |
語り手自身も述べているが、物語中最大の事件が起こったときの語り手夫婦の言動に、隣家の人々への配慮が足りない気がした。もし、この作品を作り上げた理由の一つに、彼らへの贖罪の気分があったのだとしたら、隣人の気持ちに寄り添っているようには思えなかった。
妻の悲嘆が計り知れないものであったことは分かるし、その最中にある人を責めるのは酷ではあるものの、手前勝手な理屈で、暗に隣家の人々を批難するのだとしたら、やはりそれは驕った態度ではなかろうか。所詮、他人の気持ちは分からない、と言えばそれまでだが、この出来事を公に向けて文章にする限り、文中の「迂闊」や「未熟」などでは収まらない、ごく単純な思い遣りが彼ら夫婦には欠落しているように感じられる。これも、情愛ゆえの仕方のないことなのかもしれないが...
物語は実際にあった出来事に沿っているようだ。語り手は作者自身と同一視してもよいだろう。つまり登場人物にもモデルがいる、というよりは、実在の人々に符合するといえる。そのせいだろうか、他人の領域に踏み込んではいけないという気分にさせる。オブジェを眺めるように、外側から観察することは許されても、作品内部にまで入り込む余地は与えられていない、閉じられた印象を受ける。作者の意図やアプローチとは正反対かもしれないが、もう少し虚構性の強い手法で叙したほうが、読者にあまねく開かれた物語になったのではないかと思う。上述のような感想も、フィクションであればもっと気兼ねなく語れたのだが。
批難がましいことを書いた。余計なことは一切言わない作品なのだろう。きっと私の読解、詩的な雰囲気への感受性のほうが足りなかったのだ。
平出隆『猫の客』(河出書房新社)
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