マリアは何かに向かっている、何かを迎えようとしている。けれどもそれは、気楽に向かっていけるものではないし、安々と迎えられるものでもない。彼女はだから、酒を飲む。朝から晩まで、マンサニーリャ(辛口のシェリー酒)をあおり続ける。それは一見、逃避、瞬間的な忘却の断続、許される限り何かを遠ざけようとする行為のようにもみえる。だが、マリアにとって、それは歓待の儀式なのだ。迎え入れるための準備(の準備(の準備)...)...。マリアはそれを繰り返す。
ただそれだけのことであれば、小説をとおしてマリアを目撃することはなかったであろう。『モデラート・カンタービレ』の作者がそんな小説を書くことはなかったであろう。夏の夜の十時半。あの時間に起こったこと、あの時間にマリアがそこにいたこと、あの時間にマリアの意識に流れ込んできたもの、それらが「儀式」の実現をもたらすに至る。その時間がやってこなければ、何かがもたらされることのない儀式の準備を、われわれの知らないところで、マリアは延々と繰り返しているのではないだろうか。
マルグリット・デュラス『夏の夜の10時半』
田中倫郎訳 (河出文庫)
Marguerite Duras, Dix heures et demie du soir en été, 1960
田中倫郎訳 (河出文庫)
Marguerite Duras, Dix heures et demie du soir en été, 1960
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