2019/07/20

プルースト『楽しみと日々』 (2)

Absence 不在
恋愛対象の不在─その原因と期間を問わず─を舞台にのぼせ、これを孤独の試練に変えようとする言語的挿話。
ロラン・バルト 『恋愛のディスクール・断章』
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母の存在が、いいえ、それ以上に母の不在が、それほどまであの庭に母の姿をしみこませているのです。愛するものにとって、不在は、もっとも確かな、もっとも有効な、もっとも生き生きした、もっとも破壊しがたい、もっとも忠実な存在なのではないでしょうか。(《若い娘の告白》より) 

母が死んだら、すぐに自殺しようと心を決めていました。もっとあとになって、不在が別の教訓をもたらしてくれました。その味はいっそう苦いものでした。つまり、人は不在にも馴れるものだということ、そして、その不在にももう苦しんでいないと感じることが最大の堕落であり、もっとも屈辱的な苦しみだということです。(同上) 

君から遠く離れている今、接吻がたちまち持ち上げてくれるはずの、永遠の不在を隠すかりそめの仮面に他ならぬ、この不完全な存在がありさえすれば、君の本当の顔をぼくに見せ、ぼくの愛の憧れを満たすのに充分なように思われる。(《悔恨、時々に色を変える夢想》第20篇「真珠」より)
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ロラン・バルトが 『恋愛のディスクール』の中で掲げた断章の一つに「不在」というのがあり、引用こそしていないものの、これを読む限りではプルーストを強く意識しているように感じられる。それはもっぱら『失われた時を求めて』による影響かもしれないが(とくに第六篇『消え去ったアルベルチーヌ』)、さらにその先にはまだ萌芽状態の『楽しみと日々』の存在も、見つけることができるように思った次第。

不在の人にむけて、その存在にまつわるディスクールは果てどなくくりかえす。これはまことに不思議な状況である。あの人は、指示対象としては不在でありながら、発話の受け手としては現前しているのだ。
ロラン・バルト 『恋愛のディスクール・断章』
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(つづく)プルースト『楽しみと日々』 (3)

〔参考〕ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』三好郁朗訳(みすず書房)


マルセル・プルースト『楽しみと日々』
岩崎力訳(岩波文庫)/ 窪田般彌訳 (福武文庫)
Marcel Proust, Les Plaisirs et les Jours (1896)

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