2019/07/27

プルースト『楽しみと日々』 (3)

《月の光を浴びたように》


プルーストの『失われた時を求めて』を読む醍醐味の一つに、全篇のそこかしこにちりばめられた詩のような表現を堪能することが挙げられる。物語の筋をひたすら追うばかりではなく、ふと語り手の空想世界に引き込まれて、気づけば物語から遠くはなれたところを散歩しているような気分にさせることがある。しかもそういった散歩は、決して無駄で余計なものではなく、実は小説世界のほかの場所をほのめかしたり、いくつもの散歩が全篇の中で数珠つなぎのように関係し合ったりしているから、驚きである。

一方で、散歩一つ一つが完結した詩のような趣きがあって、それだけでも花の甘い薫りを嗅ぐような充実感をもたらしてくれる。たとえば、室内楽のコンサートを聞きに来たとする。紀尾井坂や浜離宮にあるような立派なホールではなくて、教会やスタジオのようなところ。さらには多少広い私室などでも良くて、そこは客席と舞台とのあいだには段差がなくつづいており、前に座る観客の頭と頭が谷となって、演奏者たちの全身が見えない。このような状態でも、詩人は一つの詩を作り上げてしまう。
ヴァイオリンの音には──たとえば楽器が見えない場合、聞こえてきた音とそれが出てきた楽器のイメージとが結びつかず、イメージによる音響の修正ができないため──ある種のコントラルトの声と共通する点があり、その奏でる音には女性歌手が加わっているような錯覚にとらわれることがある。目をあげると、見えるのは中国の高価な箱のような楽器の胴だけなのに、ときおり人をあざむくセイレーンの呼び声に惑わされる。
『失われた時を求めて』第一篇《スワン家のほうへ II》岩波文庫版, p.352

詩といってもこの場合、明確な韻律のない文章的な詩、つまり散文詩に近い。プルーストは若い頃から、詩的印象を韻文よりも散文に込める方を好んでいた(あるいは自分のスタイルとしてふさわしいと考えていた?)ようで、『楽しみと日々』にも多くの散文詩を収録している。

フランスの作曲家アンリ・ソーゲ Henri Sauguet, 1901-1989 は、そんな若きプルーストの散文詩の一つ《月の光を浴びたように Comme à la lumière de la lune》を歌曲にしている。
夜が来ていた、私は自分の部屋に入っていった。もう太陽の下、光り輝く空も野原も海も見られなくなった今となっては、闇なかにいつまでいるのも不安だった。しかし、ドアを開けてみると、私の眼には、夕陽を浴びたように光り輝いている部屋が映った。私は窓から、家や野原や空や海をみた。が、むしろそれらのものを「夢に見る」思いがした。...
(《月の光を浴びたように》の冒頭)  
La nuit était venue, je suis allé à ma chambre, anxieux de rester maintenant dans l'obscurité sans plus voir le ciel, les champs et la mer rayonner sous le soleil. Mais quand j'ai ouvert la porte, j'ai trouvé la chambre illuminée comme au soleil couchant. Par la fenêtre je voyais la maison, les champs, le ciel et la mer, ou plutôt il me semblait les "revoir" en rêve;...

素人考えでは、音楽とことばの融合を求める上では、韻を踏んだり一定数の音節で書かれた詩、散文詩と対義させれば韻文詩の方が音楽にしやすそうだ。むしろ、そういった詩に含まれるリズムや躍動が、音楽に溶け込ませたいと作曲家を誘惑するのではないだろうか。 けれどもソーゲは、そういった定型的な要素のみられないプルーストのこの詩に、誘惑されたらしい。 

この作品では、フランスの近代歌曲についてよく言われるように、詩(テクスト)が音楽を先導する。第一にことばの抑揚や喚起するイメージが音楽に起伏やテンポを与える。そして、次第にことばと音楽が連関しあい、相互を引き立たせて、あるいは融け合ってゆくのである。

言うは易し。実際にそのように作曲するのは、歌詞の長短などにかかわらず、難しい仕事であろう。どんなに技法が巧みでも、作曲家自身に詩をよく理解する力・詩を喜ぶ感受性がなければ、到底なし得ない。その意味でソーゲはおそらく、文学的感性にもたいへん秀でた音楽家なのだと思う。

プルーストの作品を一つの音楽として味わえるというのも、なかなか面白い。

【録音】
  • アンリ・ソーゲ『歌曲集』:ジャン=フランソワ・ガルデイユ(バリトン)、ビリー・アイディ(ピアノ):2002年9月録音:TIMPANI 1C1070

〔画像〕アンリ・ソーゲと猫

マルセル・プルースト『楽しみと日々』
岩崎力訳(岩波文庫)/ 窪田般彌訳 (福武文庫)
Marcel Proust, Les Plaisirs et les Jours (1896)

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