2019/09/07

シムノン『ベティー』

《穢れ》という言葉が、泥だらけの靴、濡れた足のせいで、彼女の脳裡に浮かんだ。
彼女は穢れ始めている。徹底的にやり遂げるという意志が、はっきりと心にあらわれた。とことん潔白な人間になりえない以上、いったん穢れてしまったら、徹底的に穢れてしまったほうがいいのではないか?(p.174)

シムノンには珍しく、女性が主人公の小説。寝台の上で、現実と非現実を行き交うように、生きる気力を失いつつある主人公の様子や過去がつづられる。劇的な展開がみられないようでいて、決して単調であいまいな物語ではない。

ベティーはなぜ酔いつぶれようとしているのか?
なぜ娼婦のような真似をするのか? 
なぜ自分を穢したいと思うのか?

舞台はヴェルサイユとパリ。シムノンの小説では舞台の時間や場所と密接に関わり合っていることが多いけれども、『ベティー』ではその関連は希薄に感じられる。それゆえ、読者の脳裡では、空間も時間も宙に浮かび、舞台を現在に、読者自身の身近な町に置き換えてみても、人生の崖っぷちにたたずむ主人公の倦怠感が、肌に感じられる。

シムノンの小説には、決して難解で晦渋な文章がない。言葉数は少ないが、登場人物の心理や様子を的確に表現する。まったく簡潔な描写なのに、情景もすぐに浮かび上がってくる。だが、そのような「心地よさ」に身を委ねていると、実人生のようにあっという間に流されてしまう恐れがある。『ベティー』ではその筆致が一際目立っているような気がする。より洗練されていると言うべきか。

〔余談〕

女性が主人公として登場する小説に、『片道切符(帰らざる夜明け)』や『ストリップ・ティーズ』、『伯母のジャンヌ』(未邦訳)などがある。

〔画像〕オランダ語版の表紙(ディック・ブルーナによる装丁)


ジョルジュ・シムノン『ベティー』長島良三訳 (読売新聞社)
Georges Simenon, Betty, 1961

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