2020/02/22

ラ・ロシュフコー『マクシム』 (1)

ラ・ロシュフコーの一撃

ラ・ロシュフコーのマクシム(格言・箴言)は、われわれにとって心強い武器である。自分を取り巻く世界を正しく観察するための術にも、世の中の偽善や欺瞞、あるいは悪徳に対抗するための手段にさえにもなると思う。ラ・ロシュフコーの言葉それ自体、相手・敵の急所を一撃に突くことのできる力を秘めている。

だが一方で、これは、まさに言葉どおりの「諸刃の剣」にもなることも忘れてはいけない。相手・敵とは、必ずしも他者とは限らない。言うまでもなく、それは自分自身にもあたる。日々の暮らしで野放しにしている自己愛を筆頭に、高慢、虚栄、嫉妬、弱さなど、ラ・ロシュフコーは、他者だけでなくわれわれの心内にも容赦なく襲いかかってくる。人間観察の対象は、他者と自己との両方なのだ。
世の多くの人がだまされている、いな自分自身もよくだまされたがる、われわれの行為の奥底にもぐりこみかくれている利己心や打算が、そこ[ラ・ロシュフコーのマクシム]に小気味よくえぐり出され、はっきりと照明をあてられている。
(関根秀雄)

だから、仮に、今ここでラ・ロシュフコーの言葉を取り上げて、私がこれを笠に着て世の中の不正を批判してみたとしても、そして、それを読んで読者の溜飲を下げることができたとしても、両者とも決して第三者の立場から達観できるわけでも、特別待遇で何か免除されるわけでもない。批判の矛先は常にわれわれにも向けられ得るのである。ラ・ロシュフコーほど、そういうことをはっきりと意識させるモラリストはいないのではないかと思う。

〔参考〕


『ラ・ロシュフコー格言集』関根秀雄訳(白水社)
François de La Rochefoucauld, Réflexions ou sentences et maximes morales, 1665

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