巨大な森『失われた時を求めて』を前にして、本書は小説冒頭の木、つまり第一篇『スワン家の方へ』の第一章《コンブレー》の精読をすすめています。ここには、小説全体の構成やテーマを予告する文章が多く盛り込まれており、それを察知するためには、一見ささいな表現でも入念に検討することが大切だというのです。何よりも文章一つ一つをじっくりと味わうところにこそ、プルーストの小説を楽しむ醍醐味があるのだと、本書は説いています。もちろん、《コンブレー》だけを読めば事足りる、『失われた時を求めて』の全部が読解できると主張しているわけでは決してありません。
全篇読破に躍起になっている最中は、大事だと思われる箇所を見過ごしてしまっても、ふと立ち戻ってみたりすることなどは面倒くさく感じられます。けれども、何気なく敷かれている伏線を発見するのであれば、ただストーリーだけを追うのではなく、詩篇と向き合うように語句一つ一つを吟味するほうが有効な方法であるし、この小説から引き出せる喜びも、気の遠くなるほど豊かになると思います ──小説家の堀辰雄はおそらく、病弱な体をかえりみずにそのような凝った読み方を執拗に続け、結局『失われた時を求めて』を全篇読むことなく力尽きたのかもしれません──。翻訳についても興味深い指摘がありますが(例えば、p.50)、これも著者自らの精読にもとづいた結果によるものだと思います。
気の遠くなるほど長い小説ではあるけれど、作家が一言一言を丹念に選びながらテクストを編んだように、森を漠然と眺めたり一瞥をくれたりするのではなく、樹々の一本一本の違いを認めるように読んでいく、それも気長に。これが『失われた時を求めて』を最も十全に楽しむ方法であり、その神髄に迫るための最短の道なのかもしれません。そのためには、『失われた時を求めて』には若いうちから取り組んだほうがよいかもしれません。歳をとってから一気に読もうなんて思わないほうがよい。老いてしまったら、こんなに長く濃密な書物につきあう気力も興味も、そして体力も残っていないかもしれないのだから......
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