家の右手の、《城壁跡広場》のほうにあがって行くと、商店はそれほど密集していないし、家々の間に薄暗い袋小路があまり見られない。歩道沿いの手押し車も数が少ない。... 聖メダール教会のほうに降りて行くと、通りは人がうようよごった返し、物音と臭いと、露天の八百屋の女たちの叫び声に満ち、食べ物が積み上げられ、道路脇の溝は塵芥(ごみ)だらけだ。(p.35)
ムーフタール通り Rue Mouffetard の界隈は、細い路地を挟んでいろんな商店がひしめき合い、買い物客でごったがえす賑やかなところ。通りは聖メダール教会 Église Saint-Médard を起点に、北に向かってコントルスカルプ(城壁跡)広場 Place de la Contrescarpe まで伸びてゆく。
ムーフタール通りの市場 1896年頃 |
主人公の家は、通りの右側(東)にある建物の小さなアパルトマンらしい。主人公の母ガブリエルは、露天の八百屋女のひとりだから、彼女も通りで「リンゴが安いよー!」と叫んでいたにちがいない。横丁にポ・ド・フェール通り Rue du Pot de Ferがあって、小説ではこの角っこに、ガブリエルの兄貴が店を出している。(写真はfr.wikipédiaより。1896年というから、主人公ルイが生まれた頃だ。)
有名スポットめぐりに飽きて、それでもなおパリの空気を吸いたいという観光客などは、ムーフタール通りあたりをさまよえば、しばし下町のパリッ子気分を味わえるにちがいない。
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野菜、果物、鶏、卵の箱が、歩道の上、車道の上、小屋の中と至るところに見える、すべてのものがめまぐるしく動いている。ある場所に積み上げられていたものが、つぎの瞬間には別の場所に運ばれている。... 一切合財が混沌としているように思える。しかし、見かけは混乱しているが、それぞれのトラックが、それぞれの箱が、それぞれのカリフラワーが、それぞれのウサギが、それぞれの人間が、しかるべき場所で、きちんと役割を果たしていることが、ルイにはすぐに理解できた。(p.100)
ガブリエルはまだ太陽が昇る前の早朝に、ムーフタールの家を出発する。手押し車を押しながらポ・ド・フェール通りからロモン通り Rue Lhomond を上がり、パンテオン Panthéon を過ぎてサン・ミシェル大通りBoulevard Saint-Michelに出る。サン・ミシェルをさらに北上して、サン・ミシェル橋 Pont Saint-Michel とシャンジュ(両替)橋 Pont au Change を渡って、セーヌ河を越える。眼前にはシャトレ広場 Place du Chatelet が見えて、目的地はもうすぐそこだ。目的地、中央市場(レ・アール Les Halles)の界隈である。
中央市場は「パリの胃袋」とも呼ばれたところで、かつては鉄製の巨大な建造物があり、その下では、引用にもあるように、食料品を中心にありとあらゆるものの取引が行われていたそうだ。築地市場が東京の真ん中に広がっているイメージだろうか(実際、築地に移転前の市場は日本橋にあったという)。正確には、引用はレ・アールに至るまでの中央市場通り Rue des Halles あたりを描写しているので、さしずめ場外取引市場の風景といったところか。ガブリエルが、ルイの注進にしたがってリンゴを仕入れたのも、きっとこの辺りである。
シムノンの小説は、パリの町がまるで目に浮かぶように描かれるのだが、『ちびの聖者』ではそれが一層生き生きとしている。作家のノスタルジーが少なからず反映されているのかもしれない。
- 1956年の中央市場 in Un jour plus de Paris
- シムノンの「運命の小説」一覧
- (人物事典)ジョルジュ・シムノン in Le Blog Sibaccio
Geroges Simenon, Le petit saint, 1965
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