2017/05/05

シムノン『仕立て屋の恋』

『仕立て屋の恋』は、仕立て屋が恋をする物語ではなかった。『仕立て屋の恋』には恋をする仕立て屋は登場しないのだった。図書館の書棚で発見するまで、知らなかった。 パトリス・ルコントの魅力的な映画『仕立て屋の恋』の原作者が「メグレ警視」シリーズで有名なジョルジュ・シムノンだということも。

1930年代のパリ。物語の主な舞台となるイタリア門 La porte d'Italie の辺りは、どちらかといえば下層の移民が多く住むパリ13区。イール氏は、パリからさらに南のヴィルジュイフ Villejuif 界隈の住人らしい。

イール氏はリトアニアから移民してきたロシア系ユダヤ人の子で、父親は仕立屋だったが、彼自身はどちらかというと職業不明。物語には移民かつユダヤ人(かつ独り者)に対する歪んだ視線がそれとなく交差する。

原題は «Les fiançailles de Monsieur Hire»(イール氏の婚約 )。「婚約」を意味する «fiançailles» (フィアンサイユ) の単語は複数形で使われる。«fiancée» フィアンセ(女)と «fiancé» フィアンセ(男)。ふつう、婚約は一人ではできない。 イール氏のフィアンセとは......

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シムノンの小説、それもメグレの出てこない小説を盛んに読むようになったのは、この作品がきっかけだったと思う。再読してみると、作家後年の円熟味とは異なる硬さが魅力的な初期の傑作だと、改めて実感。女によって運命が左右される男の行く末を描くという、シムノンが生涯描き続けるテーマがすでに始まっている。

〔参考〕


ジョルジュ・シムノン『仕立て屋の恋』高橋啓訳 (ハヤカワ文庫)
Georges Simenon, Les Fiançailles de Monsieur Hire, 1933

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