子供の頃、彼はいつもサン=テチエンヌ教会の鐘の音を聞く習慣があった、そしてそれを耳にすると、青空を深刻げに指して、言うのだった、
「環だよ......!」
...彼がどうして鐘の音のことを環だと表現したかというと、それは鐘が空間に同心円を描くからだった。
ビセートル Bicêtre はパリ郊外の町。現在はル・クレムラン=ビセートル Le Kremlin-Bicêtre という名の自治体(コミューン)を形成していて、パリ南部に隣接している。パリの地下鉄ポルト・ディタリー駅 Porte d'Italie の次はもう、ビセートルに着く。ここは、囚人と精神病患者を一緒くたに収容した施療院(という名の監獄)があったことで有名。フランス革命期にはフィリップ・ピネル Philippe Pinel, 1745-1826 という医師の尽力で、人道的かつ臨床心理学的アプローチを重視する近代的な病院へと生まれ変わったらしい。現在は総合病院としてパリ周辺の医療を支えている。(以上、Wikipediaを参考に記述)
つまり、『ビセートルの環』を手にしたとき、フランスの読者は病院や監獄といったイメージを想起するのだろう。そして実際に、読者はビセートルの病院に担ぎ込まれる──働き盛りを過ぎ、心臓発作を起こした50歳代の男性として──。ただし、遠い老境への入り口が描かれているわけではない。20代、30代、40代...、どの世代の人々にも常に去来するような心理、起こりうる事態、将来かもしれないが、今すぐかもしれない事態がそこにある。
シムノンは自分自身と近い年齢の人物を主人公に登場させることで、説得力のある立脚点を小説に据えるけれども、それは必ずしもその世代特有の現象に注目するためだけではないような気がする。どんな年齢から観察しようとも、人間の心理・行動には、世代を超えて共通するものがある。シムノンはそれを探求しようと、いくつもの小説で繰り返し語り続けたのだろうか。人生の黄昏時に足を踏み入れた主人公が、病室から聞こえる鐘の音(彼はそれを子供の頃から「環」だと感じてきた)を耳にして、病室にいる今現在と母親がまだ生きていた少年時代が、主人公の心中で分つことのない時間感覚となるのも、そういった思想の断片なのかもしれない。
〔参考〕
- シムノンの「運命の小説」一覧
- (人物事典)ジョルジュ・シムノン in Le Blog Sibaccio
ジョルジュ・シムノン『ビセートルの環』三輪秀彦訳 (集英社文庫)
Georges Simenon, Les anneaux de Bicêtre, 1963
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