2018/04/21

シムノン『ベベ・ドンジュの真相』

それにしても、自分の妻を赤ん坊 bébé と呼ぶなんて、なんと変わった思いつきなんだろう! 結婚して十年にもなるが、彼はどうしても、この妻の呼び名になじめなかった。といって、今更どうにもなるわけのものでもなかった。家の者たちは彼女をずっとそう呼んできたのだし、友だちも、世間の人たちまでそうだったのだから......。(p.10)

この一節だけであれば、さして変哲もないことにみえる。自分の妻が「ベベ」と呼ばれている。まあ風変わりではあろうが、大して不審でもなければ、咎め立てするようなことも見当たらない。けれども、読者はその前に、次の一節から本書を読み始めている。「ほんの目に見えないような蚊が、ときには、大きな石が水溜まりに投げ込まれた時よりも、もっとはげしく水面をかき乱すことだってないとは限るまい。あのラ・シャテニュレ(*)での日曜日が、ちょうどそれだった。(p.7)」

これは一体どういうことなのだろう。もし、これに留意しつつページを慎重に繰ってゆくと、のどかな夏休みの描写に始まる序章は、とたんに疑わしいものとなり、やがて来る嵐の前の静けさのような様相を帯びてくる。そして、あっというまに「事件」の目撃者となったのち、私たちは、妻の真実、心の真相を徐々に解き明かしてゆく夫フランソワの(心の)旅に同伴することになる。やがて、フランソワの旅は、最終章の風変わりな、現実と非現実との境がとてもあいまいな夢の叙述によって終止符が打たれ、小説は一気に収束する...

(*) 小説中には「オルヌ地方のラ・シャテニュレの別荘...」(p.57)とあるので、ノルマンディ(フランス北西部オルヌ県 Orne )の片田舎ラ・シャテニュレ La Châtaigneraie のこと。ちなみに普通名詞の châtaigneraie は栗林のことで、これにちなんだ地名はフランス各地に点在する。

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ジョルジュ・シムノンがが亡くなって来年は死後30年になる。シムノンは今や、同時代人の心の闇を鋭く描くというような局所的・限定的な存在ではなくて、現代世界のなかで文明のルールに従って生きなければならない人間(文明のルールに外れた途端、その人間は容赦なく糾弾される)の様相をさまざまな世代の観点で描いた、世界を代表する小説家の一人として時代を超えた存在ではないかと思う。

〔画像〕オランダ語版の表紙(ディック・ブルーナによる装丁)

ジョルジュ・シムノン『ベベ・ドンジュの真相』斉藤正直訳 (早川書房)
Georges Simenon,  La vérité sur Bébe Donge, 1943

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