2018/09/29

シムノン『離愁』(列車)

第二次世界大戦中の出来事を語った小説。原題のタイトル « Le Train » が示すように、列車で起こる事柄を中心に物語が紡がれます。『仕立て屋の恋』と同じく、『離愁』の邦題で公開された映画(ロミー・シュナイダー、ジャン=ルイ・トランティニャン主演)のほうが有名かもしれません。

(小説のイントロダクション)
1940年5月10日、ベルギーとの国境に近い北フランスの町フュメ。ついにナチス・ドイツがオランダ、次いでベルギーへの侵攻を開始し、主人公マルセルは南へ向かう列車で疎開に発つ。老人、妊婦、幼い子どもは客車に、あとは貨車に詰め込まれたため、妻子と離れ離れとなった彼は、列車の中で一人の女性と出会う。はじめは視線を交わしていただけの二人は、次第に強く求め合うようになる。

戦争という異常事態がもたらした運命のいたずらなのか、それとも、心の奥底に燻っていた欲望の発露なのか。この小説はマルセルという登場人物によって叙述されます。一人称形式を採用しているのは、シムノン作品には比較的めずらしいかと思いますが、自伝的な要素が濃いからかもしれません。ある個人の視点で語ることで、迫りくる戦争の雰囲気と、戦争に(運命に)対峙する主人公の心理が一層よく伝わってきます。

***

今、自分は生命の危機に瀕しているのだと悟ったとき、人はパニックになるどころか、頭の中には心地よい涼風が舞うほどに、きわめて従容に振舞えるのかもしれません。しかし、それは理性がもたらす冷静さなのでしょうか。マルセルの告白には、理性による泰然というより、取り巻く環境 milieu に適応しようとすることで、生命を持続させようという野生的な直観 intuition が働いているように思います。
しかも戦争が勃発した日、わたしが心の高揚を感じたということは、やはり本当のことである。自分でも高ぶる声で、「来るべきものだったんだ」を言ってしまってびっくりした。
...
政治ではなかったのだ。偽りの沈静化の一年後にとつぜん爆発したこの戦争は、運命とわたしとの間の個人的な事件だったのである。
...
わたしはわたしの生活が根ざしていたものを失ったばかりだった。わたしはもう、ムーズ河からそれほど遠くないフュメイ(フュメ Fumay )のかなり新しい街のなかで、ラジオ器具商であったマルセル・フェロンではなかった。人々の力を超える力によって、その意志のままに流され漂わされていく、何千万の人間のなかの一人だったのである。
...
引き戸の近くにいた人びとは、見ることのできた空の一部をじっと見つめるだけだった。いつものように抜けるように青い空に、ドイツの飛行編隊がとつぜん現れて、この駅を爆撃しないかと考えながら......。
...
一つの亀裂ができた。それは過去がもう存在しないということを意味するものではない。またわたしが家族を否定したということでも、妻や娘を愛さなくなったということでもけっしてなかった。
ただ、不確定なある時間、わたしは別の平面上に生きていただけなのだ。そこにあったのは過ぎ去った生活を支配していた価値とまるで違った価値であったのだ。
...
男たち、女たち、子供たちが、われわれの列車の機関士がうつけた目を青空に向けてひらっきぱなしで死んだように、死んでいったろう。また他の人たちは、赤く滲んだハンカチを顔にあてがっていた老人と同じように、血を流しており、肩をむしられた女と同じように、うめいていた。

「悟り」というものは、例えば静寂に包まれた寺院の中で内側に集中しているときよりも、視覚だけでなく嗅覚や聴覚、五感がフル回転している状態のときに、不意にもたらされるものかもしれません。
なぜ、今日、世界は新しい味わいを持ったのだろうか。自分の息を取り戻しながら、わたしはジャムつきパンの周りを飛び回る一匹の蜜蜂を見つめたとき、その蜂の唸りにまで、昔の味わいを思い出していた。
...
海の色は空の色と溶け合い、光を反射して、太陽が空にも海面にもあるかのようだった。もはや、どこにも限界がなく、わたしの心に無限という言葉がほとばしり出た。
...
樫の木の樹蔭に、茶色い斑のついた牝牛がひっきりなしに湿った鼻面を動かして寝そべっていた。しかしそれは、もはや見慣れた動物であることをやめ、またごく日常の風景ではなくなり、新しい意味をもつものに変わろうとしていた。
なにに変わろうとしていたというのか。言葉がみつからない。わたしは表現がへただ。牝牛を見ながら、危うく目に涙があふれそうになった。

シムノンは、陳腐な恋愛小説家のように、戦時で燃え上がる愛が真実であるとかないとか、そういった野暮なことを滔滔と述べたりはしません。生きている限り、こういうことは起こりうるのだという可能性を提示しながらも、そこに後付け的な意味、それがあたかも人生の目的であったような恣意的な結論を見出そうとはしないのです。(だからといって、シムノンが受動的な運命論者と言っているわけではない。)
最初のときも、わたしの心の奥底で、同じように好きだと言った。おそらく、わたしが愛したのは彼女ではなかったのだ。おそらく人生だったのだ。わたしはどう言ったらいいのかわからない。わたしは彼女の人生のなかにあった。そして、できたらそこにとどまっていたかった。太陽に照らされた植物のようになりながら、ほかのことは何も考えなかった。
...
わたしは運命と出会ったと考えることで、自分を欺いていた。
...
愛などということを語る考えは、わたしたち二人の頭に浮かびさえしなかった。今になっても、あれが本当に愛だったのかわたしはいぶかっている。愛などというものは、この言葉が世間一般に使われる意味の範囲内で語られればよいことだ。わたしがアンナに抱いている気持は、はるかに重いものだったのだ。
...
何がおころうとしているのか、わたしにはわからなかった。だれも、それを予見することはできなかった。わたしたちは、通常の生活空間の外側で、幕間を生きていた。そしてわたしは、そうした日々と夜々を、がつがつと貪り、味わい尽くしていたのだった。
...
過去もなく、未来もなかった。わたしたちが、ふたり一緒に貪欲なまでに求め味わっていたもろい現在のほかには、何もなかった。

ジョルジュ・シムノン『離愁』谷亀利一訳 (ハヤカワ文庫)
Georges Simenon, Le Train, 1961

0 件のコメント: