(小説のイントロダクション)
ユベール・カルディノーは、職人の父と、ブルターニュから出てきて缶詰工場で働いていた母とのあいだに生まれた。下層階級の出身である。それでも彼は子どもの頃、ほかの兄弟とは異なり、自分は将来「労働者にも、職人にも、商人にも」ならず、「多少とも鷹揚な生活をするだろうということ」を直感していた。そして、勉学に励み仕事に成功して(保険業者の右腕として働いている)、今では比較的裕福な地域に居を構え、妻と二人の子どもとともに暮らしている。教会のミサでも、貧しい人々や旅行客が群がる末席にではなく、名士たちのように黒い服を着て参列する。カルディノーの息子、つまり貧しい出自でありながらも、懸命に努力して上昇を図った彼に、町の人々は軽蔑と敬意が入り混じったような心持ちで、毎日挨拶を送る。
彼は満足だった、彼自身であることに満足だった、この同じ教会で初めて聖体拝受をしたときから自分のして来たことに満足だった、結婚して以来自分のして来たことに満足だった─
だからこそ、ある日曜日、教会から帰ってきたとき、いつも昼食の支度をして待っているはずの妻のマルトが家にいないことに、カルディノーは激しく動揺するのである。慌てて双方の実家に駆け込むが、マルトはいない。しかも、義父母だけでなく自分の両親にさえも、心配されるどころか、妻に逃げられた憐れな男としか見られない。カルディノーは独り静かに涙ぐむ。しかし、やがて彼は、マルトを探して家に連れ戻そうと決意する。
小説は、フランス南西部ヴァンデ地方にある町レ・サーブル=ドロンヌを舞台の中心にしている。美しい白浜の海岸で知られ、夏には多くの観光客で賑わうだけでなく、「シムノン祭り Festival Simenon」という催しが毎年開かれている。シムノンは第二次世界大戦が終わるまでの約五年間ヴァンデ地方に住み、多くの傑作を生んでいる。メグレ夫婦も、休暇でレ・サーブル=ドロンヌに訪れている(『メグレのバカンス』)。
端的に言えば、『カルディノーの息子』は失踪した妻を探す物語である。妻が家を出た日曜日に始まり、主人公のユベールがレ・サーブル=ドロンヌの町だけでなく、ラ・ロシェルやラ・ロッシュ=スュル=ヨン、マレイユ(=スュル=レイ=ディセ)など、近郊の各所に足を伸ばして、手がかりを見つけては妻の足跡をたどっていく一週間の様子が描かれる。日に日に真相が見えてくるのと同時に、ユベールの心境も明らかになっていく。メグレシリーズの作家らしくミステリー仕立ての構成になっている。また、オルフェウスの冥府下りを下敷きにして、日々の不安と孤独に苛まれる現代人を描いていると解釈してもよいかもしれない。
ユベールはなぜ、消えた妻をなんとしてでも見つけ出そうとするのか。妻を愛しているからなのか。世間体を守るためなのか。シムノンのほかの傑作に比べると、心理描写に少し物足りなさが感じられるものの、マルトの失踪の謎以上に、言外からユベール自身の内心を解き明かしてみることこそ、この小説を読む醍醐味なのではないかと思う。さらには、小説には描かれていないが、一方のマルトはどんな心境でユベールから去ったのだろうと想像してみるのも面白い。
- シムノンの「運命の小説」一覧
- (人物事典)ジョルジュ・シムノン in Le Blog Sibaccio
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