2019/01/26

シムノン『メグレ、ニューヨークへ行く』

会ったこともない人間にたいして、五千キロも離れた場所から尋問を行なうなどというのは、メグレにとっても初めての経験だった。
文庫版の巻末解説に、「メグレとくれば、どうしたってパリである」と書いてある。「メグレ・シリーズは推理小説であるよりも先に、パリを描いた都市小説である」「それがニューヨーク、ということになると、ちょっとね、という感じがしてしまう」と。この本を読む前にそのように思った読者はおそらく、私を含めてわりと多いのではないかと思う。そして、読後にはこのようにも感じたと思う:「ところが、そんなことは浅はかだった。愚かしかった。下手な取越し苦労はしない方がいい。」
自分の庭のようにパリ中を縦横無尽に駆けめぐるのとは異なり、これまで足を踏み入れたこともないニューヨークで、しかもすでに警察を退職した身だというのに、メグレは「捜査」を始める。初めは、到着早々に依頼人が姿をくらましたり、人びとの冷淡な対応あるいは皮肉な調子に、戸惑い憤る。だが、人びとの言動をつぶさに観察し、徐々に真相に迫るにつれて、メグレはニューヨークを闊歩するようになる。ロニョンではないが、「泣き顔のピエロ」とも呼ばれる、世界の不運をまるごと背負ってしまったような探偵にも捜査を手伝ってもらう。その様子はもはや、現役時代にパリで事件を追っていたときの姿と全く変わらない。

同じ頃に書かれた自伝的な小説『マンハッタンの哀愁』も、ニューヨークのマンハッタンあたりが舞台になっており、まだ高級化していないこの界隈を魅力的に描写している。これを読んだとき、シムノン自身がこの町を隈なく歩いて観察し、そのときに体内に取り込まれた感覚や印象が揮発しないうちに文章にしたかのように思えたが、『メグレ、ニューヨークへ行く』にも似たような雰囲気が漂っている気がする。普段と趣は異なるけれど、本作も見事な都市小説に仕立てられている。

〔参考〕
〔画像〕オランダ語版の表紙(ディック・ブルーナによる装丁)

ジョルジュ・シムノン『メグレ、ニューヨークへ行く』
長島良三訳(河出書房新社)
Georges Simenon, Maigret à New York, 1947


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