小説であれ評論であれ、その作品を味わい尽くしたいのであれば、きっと、幾度も読み返すのが肝要なのだと思う。
『ムッシュー・テスト(テスト氏)』を初めて読んだときのこと。理解しようと試みればみるほど、遠くへ押しやられ。もちろん、それはこちらの読解力、「ヴァレリスム」の基本を心得ていないことにきっと問題があったのであり、一回読んだだけでは、読んだことにならなかったのだろう。それでも、ヴァレリーの言葉に戯れたい、言葉が自然に浸み込んでいくわけではないが、かといって上滑りするようにも感じないから、きっと私とは親和性があるに違いない、何の根拠もなく、相手が同意もしていないのに「私たち気が合うね」と言うような、そのような親近感を勝手に抱いていた ──。
《ムッシュー・テストと劇場で》(一般に《テスト氏との一夜》で有名)を読み了える際に、ぼんやりそんなことを想いつつ、《マダム・エミリー・テストの手紙》をめくったら、不純な片思いはすでに見透かされていた。
抽象的なことでも、わたくしには高尚すぎますことも、聴いていて退屈することはありません。まるで音楽を聴いているように、うっとりしてしまうのです。ひとの魂のなかのある部分は、理屈はわからくても物事を楽しめるらしく、わたくしの場合、そういう部分が大きいのです。
あぁ、いまだ憧れの域を出ず。学生時代のある夏、南仏のモンプリエに数週間滞在したことがある。その折、近郊のセートという町まで遠足をした。ガイドが「ここは、かのポール・ヴァレリーの生地であります」と誇らしげに話してくれたのを聞いて、この辺りはヴァレリーゆかりの土地であることに初めて気づいたのだった。ヴァレリーはセートの、海の見える墓地に眠っている。モンプリエ大学の人文学系部門は、その名もポール・ヴァレリー大学である。自分の通っている大学にヴァレリーを研究している先生がいたことなども、そのときようやく思い出した始末。帰国後、『若きパルク』や『魅惑』の翻訳詩集を読んでみた、というよりひたすら字面を眺めた。素敵だけれど手に負えない。原詩を読むのはあきらめた。そして、テスト氏とも出会った ──。その後、ヴァレリーに対してはいまだ憧れの域を出ていない。
〔同じ作家の記事〕
ポール・ヴァレリー『ムッシュー・テスト』清水徹訳 (岩波文庫)
Paul Valéry, La soirée avec monsieur Teste (1896)
Paul Valéry, Monsieur Teste (1946)
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