2019/07/06

シムノン『家の中の見知らぬ者たち』

たったいましがた、ぼくは家のなかに見知らぬ男を見つけた…… 三階のベッドのなかだ…… ぼくがそこに行ったときにはすでに死んでいた…… この件はきみに携わってもらいたい、ジェラール…… ぼくはひどく困惑している…… 犯罪のような気がぼくにはするんだが…….
妻がほかの男と駆け落ちした後、20年近くも隠遁生活「豚みたいにだらしない生活」を続け、人生を半ば諦めていた主人公が、家のなかで起こった事件をきっかけに......
シムノン小説の主人公は、その多くが日常の些細な出来事を契機に人生の転換を迫られ、破局か、そこまで深刻ではないもののやはり取り返しのつかないような状態に陥ってしまうなか、本作では若干趣きの異なる筋書きになっている。本作の主人公エクトール・ルールサは、事件をきっかけにこれまでの習慣を破り、さらにある青年の弁護を引き受けて奔走を始める。その姿は、事件解決のためにあちこちと歩き回るメグレに似ている。

シムノンは、どちらかというと上流階級よりも庶民階級の人々、それも辛酸を嘗めている人々を描き出すほうが得意だと言われているが、実際には多くの作品で、前者の、つまり富裕層の男たちも主人公として登場する。『闇のオディッセー』や『可愛い悪魔』、『ビセートルの環』に出てくるのは、いずれも医者、弁護士、新聞社の社長と、社会的に地位の高い人物ばかりである。

ルールサも、フランスで中部の町ムーランの名士の一人として名を連ねている。しかも、彼はほかの小説の主人公と少し異質である。さきほど挙げた男たちは、今でこそ成功を収めているけれども出自は庶民階級だったり、結婚によって(つまり妻のおかげで)成り上がったりしているのだが、ルールサは根っから上流階級の生まれなのである。シムノン小説の中では珍しいケースかもしれない。

「家の中の見知らぬ者たち」とは、家の中で銃で撃たれて死んだ男や、家を出入りしていた若者グループのことだけでなく、同じ屋根の下で暮らしてきたはずの娘や使用人をも含むのではないか。実際、ルールサが娘のニコルを異邦人のように眺める箇所がある。そして、ルールサ自身もまた、書斎を穴蔵にして動物のような生活をしていたこれまでとは異なる感じ、ものが見えることに驚き、そのような自分を「見知らぬ者」として認識しているのかもしれない。

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〔主な登場人物〕
  • エクトール・ルールサ・ド・サン=マルク … 弁護士、48歳
  • ニコル … エクトールの娘、20歳
  • フィーヌ … ジョゼフィーヌ、使用人
  • ジェラール・ロジサール … 検事、夫人のローランスはルールサの従姉妹
  • デュキュ予審判事
  • ビネ警視
  • マルト・ドサン … エクトールの妹、脱穀機製造業者シャルル・ドサンの夫
  • ジョー …  「ボクシング・バー」の主人、元ボクサー
  • ルイ・カガラン…  通称ビッグ・ルイ、家の中で死んでいた男
  • エドモン・ドサン … マルトの息子
  • ジュール・ダイア … アリエ通りの豚肉屋の息子
  • デストリヴォー … 銀行員、父親も中央銀行の現金出納係
  • ジュスタン・エフライム・リュスカ … スーパーマーケットの店員、18歳
  • エミール・マニュ … 貧しい家庭に育った青年、18歳、母親はピアノ教師
  • アデール・ピガス ... 娼婦

〔参考〕

ジョルジュ・シムノン『家の中の見知らぬ者たち』
長島良三訳(読売新聞社)
Georges Simenon, Les Inconnus dans la maison, 1940

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