〔小説の冒頭〕
「ジヴェの駅に着いて、メグレが列車から降りたとき、真っ先に目に入った人物は彼の居たコンパートメントの真正面に立っていた。それはアンナ・ペータスだった。プラットフォームのこの場所にメグレが紛うことなく降り立つことを予見していたかのように! だが、彼女はそのことに驚いたりも誇ったりもしていないようだった。アンナは、メグレがパリで会ったときのように、おそらく普段からもそうであるように、鉄灰色の仕立服に身を包み、黒い靴を履き、その形や色さえも後で思い出すことなどできないような帽子をかぶっていた。」
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ムーズ川から見たジヴェの町、シャルルモン要塞 |
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ジヴェ Givet はフランス北部にある、東西と北をベルギーに囲まれた国境の町。そこで食料品店を営むフラマン人(オランダ語を話すベルギー人、フランデレン人とも)の一家ペータス家の娘アンナがメグレのところにやってきたのが物語の発端である。同じ町に住むフランス人の娘ジェルメーヌ・ピエブゥフが失踪するという事件が起こったのだが、ペータス家が娘を謀殺したに違いないと疑われ、助けを求めてきたのである。義理の従兄からの紹介状もあってか、メグレは警官としてではなく、いわば私立探偵としてジヴェに赴く。ペータス家を何度も出入りし、ピエブゥフ家の人々と会い、船乗りの証言を聞き、ナミュールにある修道院を訪問し、メグレはやがて真相にたどり着く......
ジヴェは、町の真ん中をムーズ川(オランダ語ではマース川)が縦断している。フランス、ベルギー、オランダの三国を貫くこの川は水運が発達し、往時には非常に多くの船や艀が行き交ったらしい。ベルギー方面に向かって川を下ると、シムノンの生まれた町リエージュにたどり着く。作中でも町の名前が二度ほど出てくる。物語では、フラマン人に対するフランス人の嫌悪が書かれている。勤勉なペータス家が一財産作ったうえ、町に停泊するフラマン人の船乗りたち向けの店が繁盛していることに、フランス人の住民が嫉妬しているのである。作者のシムノンはフランス語を話すベルギー人、いわゆるワロン人だが、先祖はフランデレン地域(オランダ語圏地域)のリンブルフ地方から出てきたらしい。その意味ではフラマン人の「血筋」とも言える。
作者自身のバックボーンが直接語られているわけではないが、ムーズ川がリエージュやリンブルフ地方を流れるように、あるいは、ジヴェという場所だからこそ起こりそうな事件の物語として、土地のことをぼんやりと意識しながら本作を読むのも面白いかもしれない。
〔同じ作家の作品〕
ジョルジュ・シムノン『メグレ警部と国境の町』
三輪秀彦訳(創元推理文庫)
Georges Simenon, Chez les Flamands, 1931
2 件のコメント:
完読計画を着々と進められているようで素晴らしいですね。
(計画リストの色の塗り替えは?)
私の方は鈍行列車の各駅停車みたいで、景色は楽しいですが数も距離も稼げません。
cogeleauさん、ありがとうございます。
そもそもは、完読計画などという野暮なことは考えていなかったのですが、
気づいたら、メグレの魅力にとりつかれ、ならばいっそのことと計画を「実行中」です(笑)
シムノンの文章は難渋ではないので、流れるように読めてしまうことがあります。
でも、この作家が描く世界をよりよく堪能するのであれば、冊数をこなすことに躍起になるより、
各駅停車の速度のように、1冊をゆっくり味わうほうが本当なのではないかと、
仏語で読んでいると感じます。
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