ライプニッツは、すべてについて知ることができた最後の人間と言われた。たぶんラ・ブリュイエール自身もまた、人間全般について語ることのできた、一冊の本のなかに人間世界のすべての領域を含みこむことができた、最後のモラリストであった。(ロラン・バルト、吉村和明訳)
文学史の本や百科事典で「モラリスト」について検べれば、ラ・ブリュイエールの名前は必ず挙がってくる。けれども、モンテーニュやラ・ロシュフコーなどに比べると知名度はあまり高くなく、その著作『カラクテール(人さまざま)』も、今の日本ではあまり読まれていない印象を受ける。市販で比較的入手しやすい訳書(関根秀雄訳、岩波文庫)も、2009年を最後に復刊していないようだ。
副題に「当世風俗誌(今世紀=17世紀の風俗・生活習慣 les Moeurs de ce siècle)」と付されているように、本書にはラ・ブリュイエールが生きた17世紀フランスの風俗世相、人々の言動、その時代の記録といったものがたくさん盛り込まれている。「『人さまざま』は実質、場所、慣習、態度の感嘆すべきコレクションである。ほとんどたえずある事物あるいはできごとが人間を自分に引き受けている、服装、言葉遣い、歩き方、涙、顔色、白粉、顔立ち、食べ物、風景、家具、訪問、入浴、手紙など。」(バルト) その中には、現代人、しかも住む地域も文化背景さえも異なるわれわれ日本人には縁遠いような時代特有の事柄も多く見られ、そういったあたりが馴染みにくいのかもしれない。
とはいえ、『カラクテール』を読み進めていくと、「あぁ、身近にこういう人はいるなあ」「昔も今も、人の関心は変わらないなあ」といった感想が漏れてくる。「辛辣さの点ではラ・ロシュフコーには一歩譲るかもしれませんが、人間性の観察という点では今日でも通用する普遍性をもっているからです。」(鹿島茂『悪の箴言』より)
ラ・ロシュフコーが心理分析、内面の解剖によって人間一般の弱さや盲点を突くとしたら、ラ・ブリュイエールは巷の人々の行動をつぶさに観察し写生することで人間の実態を暴いていく傾向が強いように思う。それゆえ、どうしても作者自身が生きた環境、17世紀フランスの感覚や知識の枠組みの制約を一段と強く受けているという印象は否めない。それでもなお、時代を超えて共通する「人間性の観察の宝庫」として『カラクテール』から得るものは多く、やはり読み継がれるに値する古典だと思う。
〔参考〕
- 鹿島茂『悪の箴言(マクシム) 耳をふさぎたくなる270の言葉』(祥伝社)
- ロラン・バルト「ラ・ブリュイエール」吉村和明訳(ロラン・バルト著作集5『批評をめぐる試み』所収、みすず書房)
- (人物事典)ジャン・ド・ラ・ブリュイエール in Le Blog Sibaccio
ジャン・ド・ラ・ブリュイエール『カラクテール 当世風俗誌』
関根秀雄訳(岩波文庫)
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