生涯かけて猛烈に集めた宝物、彼の人生の塩だったもの、すなわち書物とか道具とか絵画とか......(ヴェルコール)
あなたのおうちは、戸や窓が破れるほど「幸福」でいっぱいじゃありませんか。(メーテルリンク・堀口大學訳)
人生の塩。あまり馴染みのない言い方なので辞書で調べてみると、フランス語の「塩 sel 」には「ぴりっとした味わい、面白み」「機知」といった意味もある。« Ce qui donne du piquant, de l'intérêt. » ラテン語には「友情は人生の塩 Amicitia sal vitae」という表現もあった。卑近に「人生のスパイス」と解釈してよいかもしれない。
普段の暮らしのなかの些細な出来事や感じたこと、取るに足りないはずなのにいつまでも心に残っているようなこと、とくに印象深かったわけではないのに突然思い出されるようなこと...... 著者エリチエはそういったものこそが人生の塩であると気づき、ここにひたすら(むしろしつこいまでに!)書き出している。「わたしとしては、一番いいものだけを記憶にとどめたのではないし、一番ひどいものだけをそうしたわけでもない。残ることのできたものが残ったのだ。」(ポール・ヴァレリー『ムッシュー・テスト』清水徹訳)
裸足で歩く、うっかり肘をぶつけてビリっとする、してはいけないとわかっていて頁の端に折り目をつける、こちらに気づいていない猫を上から観察する、鳥が騙されるほど身動きせずにじっとしている、すごい量の食器を洗い終える、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『第二の性』を「女にしてはよく書けている」と言った無神経な間抜け男に我を忘れて、一言のもとにその男の無能さを思い知らせてやった、私には何も理解できなかった発表を聞いた後、クロード・レヴィ=ストロースからいきなり何か言うことはあるかと問われた日(昔のこと)、その場で死にたいと思った、ものごとの移ろいやすさに気づき一瞬一瞬を大切にしなければならないと思う、......
書き出されたもの一つ一つが幸福の種粒であり、ときにはしんみりとさせるものもあり、共感を呼ぶものが多い。ユーモアのセンスに溢れた人柄だけでなく、レヴィ=ストロースの後継者、あるいはフェミニストとしての側面もちらりと見える。SNSなどでときどき見かける面白いつぶやき、文脈の理解なしにウフッとなれる一言も、こんなふうに塩が効いている。
何か計画や目的があるわけではない。小説あるいは小説のような何かを作り上げたいと思って書き溜めたわけでもなく、ごくありふれた認識や行為の積み重ねに人間活動の壮大な戦略を組み立てようとしているわけでもない。振り返ってみること自体が、そういった種粒を文字にする行為そのものが、喜びや幸せをもたらしてくれるのだと伝えているよう。「まるで麻薬みたいです。やめられません。」
そもそも幸福とは、そういうものなのかもしれない。私も真似してみよう。
- フランソワーズ・エリチエ『男性優位はいまだ普遍的である』 in Le Blog Sibaccio
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