2020/04/04

シムノン『メグレ罠を張る』

ジャン・ギャバンマイケル・ガンボン、そしてローワン・アトキンソンなど、さまざまな名優がメグレに扮して『メグレ罠を張る』を映像化した作品に出演している。『メグレ罠を張る』は、これらの映画やドラマを先に鑑賞していたせいもあり、小説のほうを読もうという気分になかなかなれなかった。以前にも二、三度は手にしたのだが結局は放擲していた。今回は、一歩一歩踏みしめるようにではあったが、ようやく読み切ることができた。

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「あなたの探している相手のような連中は、自分でも知らぬ間に捕まえられようという欲求に駆り立てられているのです。そしてそれもまた自尊心の一つの表われなのです。彼らは周りの人々が自分を相変わらず何の変哲もない人間だと思い続けるという考えには我慢がならないのです。」
犯罪小説には無差別的な連続殺人、動機の判然としない殺人を扱ったものは少なくないが、犯人がなぜそのような凶行を繰り返すのか、その内面に焦点をあててつぶさに叙述するというのは、この作品が発表された当時は、まだあまりみられなかったのではないか。今日では、犯人の狂気や憎悪を反映した凄惨で残酷な殺人の描写を強調する小説が多いけれども、犯人の内面を説得力をもって書き上げているものは案外少ないのではないかと思う。(それは凶悪犯罪を正当化してしまうからか、シムノンのように人間の心理に肉迫できる力量を今の小説家がもっていないからなのか、あるいは、そういう叙述を多くの読者は求めていないからなのか……)

とはいえ、メグレは今回も犯人の胸中に迫ろうとするものの、いつものようにはうまくはいかない。これも、相手がこのような犯罪を起こす人間だからなのかもしれない。
なぜメグレが満ち足りた気持ちにならないのかということは、それはまた別の話だった。職掌からいえば、彼はなすべきことは全部やっていた。ただ彼はまだ理解できていなかったのだ。 ”気持ちのぶつかり合い choc ” といったものが生まれていなかったのだ。彼はただの一瞬も、自分と[容疑者]との間に人間的な繋がりといったものを強く感ずる機会を持っていなかったのである。

いずれにせよ、この作品はシムノンの筆致が冴え渡っており、100篇以上もあるメグレ警視シリーズのなかでも十指に入る名作なのではないかと思う。

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ところで、小説の序盤にメグレが次のようなふるまいを見せる場面がある。映画やドラマでもそのようなシーンがあったかしら?
彼女[メグレ夫人]は、メグレがこっそり、まるで腕白小僧のころのように夢中でやっていることを見て見ぬふりをした。降る雨はいかにも爽やかに、いかにもおいしそうな風情だったので、彼はときおり舌を突き出してはそれを数滴受け止めていたのである。そしてその滴は事実すばらしい味がした。
舌をペロリと出しているメグレ氏が出てくるのかはさておいて、小説を無事読み了えたのを機に、今度はブリュノ・クレメール主演の『メグレ罠を張る』(邦題は「パリ連続殺人事件」)を鑑賞してみたい。

〔参考〕
〔画像〕オランダ語版の表紙(ディック・ブルーナによる装丁)

ジョルジュ・シムノン『メグレ罠を張る』峯岸 久訳(早川書房)
Georges Simenon, Maigret Tend un Piège, 1955

2 件のコメント:

cogeleau さんのコメント...

確かにこの事件は最も映像化された作品のベスト3には入りますね。心理小説としても優れているなと思います。TVシリーズで最多を誇る Jean Richard 主演のメグレはなぜかこれをやらないで終わってしまいました。外出自粛の中でのメグレ読みは楽しみの一つですね。(完読計画のほうにコメントを付けたのですが、どこかに飛んでしまって行方不明になっているようです。これもそうなるかも?)

Eugênio Sibaccio さんのコメント...

cogeleauさん、『メグレ罠を張る』には、他の作品よりも映像化しやすい要素があるのでしょうかね。Crémer 版も観てましたが、なかなか面白かったです。Richard版がないのは、かなり意外です。『モンマルトルのメグレ』も、映像化作品がたくさんありますね。
(どうもブログサービスのコメント機能がちゃんと動かないのか、私も何度かコメントが正しく送信されず… お手数おかけしてします。)