焔の夢想家は容易に焔の思想家となる。彼は、彼の蝋燭という沈黙している存在が、なぜ突如として呻吟しはじめるのかを理解したいと望む。
バシュラールは晩年、これまでの心理学的なアプローチから現象学的方法に転回して、詩的イメージにもとづく想像力や夢想を考察する書物を出しています。本書はその3冊目。
『空間の詩学』(1957)ではまず、家や家の中のもの(抽き出し、戸棚など)、鳥の巣、貝殻といった物質からミニチュア(ミニアチュール)や円といった概念的なものまで多種多彩なモチーフが夢想の対象として採り上げられます。続く『夢想の詩学』(1960)では、まさに夢想そのものに、夢想という豊かで奥深い森に分け入ってさらに自由自在に思索が展開されます。そして、これまでの2作に比べると小ぶりな本書『蝋燭の焔』(1961)では、蝋燭やランプに揺らめく焔というモチーフただ一つが、夢想の対象となります。「素朴さ」「単純さ」に回帰するようでいながら、夢想をめぐる考察の純度は一層高まっているようです。
バシュラールは思索の合間で、個人的な経験や感想を漏らしたりするのですが(「見てごらん、おまえ、と祖母は私にいった、これは火の鳥なんだよ」)、『蝋燭の焔』のエピローグでは、ランプの光に照らされ、白紙のページを前にして夢想に耽るバシュラール自身の姿が浮かび上がってくるようです。緒言では火の夢想に関する次作(*)について触れており、著者の夢想と思索が依然として旺盛であることがうかがい知れるものの、本書の刊行を最後に、バシュラールは翌年に亡くなります。そのためか、私は勝手に、このエピローグが天の梯子に足をかけるバシュラールの後ろ姿、辞世の文章のように感じられてしまったのでした。
(*) この遺稿が『火の詩学の断片』としてまとめられ、没後の1988年に出版された(邦題『火の詩学』本間邦雄訳、せりか書房)。
〔画像〕ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『燈火の前のマグダラのマリア』(ルーブル美術館)
〔参考〕(人物事典)ガストン・バシュラール in Le Blog Sibaccio
〔参考〕『蝋燭の焔』目次
- 緒言
- 第1章 蝋燭の過去
- 第2章 蝋燭の夢想家の孤独
- 第3章 焔の垂直性
- 第4章 植物的生命における焔の詩的イマージュ
- 第5章 ランプの光
- エピローグ 私のランプと私の白紙
バシュラール『蝋燭の焔』渋沢孝輔訳(現代思想社)
Gaston Bachelard, La Flamme d'une chandelle, 1961
0 件のコメント:
コメントを投稿