2022/11/05

デュラス『アンデスマ氏の午後』

物語の日付は6月1日。陽射しに暑さを感じさせる頃。『ゴドーを待ちながら』を思わせる世界(*)。果たしてアンデスマ氏が待つのはミシェル・アルク氏なのか、それとも......

(*)『辻公園』という作品も、ほとんど二人の登場人物の対話だけで構成され、「ゴドー的」かも。

現前
初夏の午後、光線、アンデスマ氏、森、海、見晴らし台、家、ぶなの木と影、籐椅子、赤毛の犬、少女、100フラン硬貨、女、風、死の恐怖......

非在

ヴァレリー(アンデスマ氏の娘)、ミシェル・アルク......

現前と非在の中間、両者をつなぐもの、分類しがたいもの
池、村、村から聞こえてくる歌声「恋人よリラの花がさくとき」、ヴァレリーの黒塗りの自動車......

現前/非在は、此岸/彼岸ととらえることも可能だろうか? とはいえ、ここに書き並べた要素は、それぞれの分類に固定されることはないだろう。現前にあるものは常に非在の彼方に押し流される可能性があるし、その逆もあるだろう.....、果たして本当にそうなのか?

フランスでは2004年に映画化された。なるほど映像化したくなる作品だ。ただ、映像にするということは(少なくとも観者の目には)すべてが現前化してしまうので、ここに挙げた現前/非在にどうやって奥行きをもたせたのだろうか。つまり目に見えない方の要素をどのようにして「見せた」のか。(映画には原作では描かれない人物、アンデスマ氏の妻が登場する......)

(2010/6/5 一部改変)

〔参考〕


マルグリット・デュラス『アンデスマ氏の午後/辻公園』三輪秀彦訳 (白水社)Marguerite Duras, L'après-midi de Monsieur Andesmas, 1962

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