2016/11/12

ラルボー『幼なごころ』

子ども自身は、アンファンティーヌ(幼なごころ enfantines )がかけがえのないものだということを知らない、まだそれを知る術を身につけていないから。大人はアンファンティーヌを愛おしく思う、もうそれを失ってしまったことを知っているから。難しいのは、子どもでも大人でもない、アドレッサンス(青春期 adolescence )のきみたち。生きていく限りいずれアンファンティーヌを失うことは避けられない。ただ、それをどう失うかが、この時期の問題だ。ちなみに、あたかもアンファンティーヌを忘れていないかのように振る舞う大人は、もってのほか。

文庫の巻頭紹介では『幼なごころ』をシューマンの『子どもの情景 Kinderszenen 』にたとえている。生涯精神疾患に苦しんだシューマンが一時の安らぎに身を震わせたような、そんな珠玉のピアノ曲集。ところで、この小説を包む雰囲気は、フォーレの組曲『ドリー Dolly 』も想わせる。とくに第3曲《ドリーの庭 Le jardin de Dolly 》や第5曲《優しい心 Tendresse 》の柔らかい陽射しに似ている。ちなみに、『幼なごころ』の第四篇が《ドリー》という表題(*)。

とはいうものの、ラルボーは愛しき幼少時代を懐かしんで『幼なごころ』を書いたわけではないように思う。子供の地平にまで降り立って、子供だけに見える、子供だけが交感できる不可侵の世界を描いているが、そこに住む子供たちは、決して「愛らしく清らかなだけの存在」ではなく、「嫉妬深さも残酷さを秘めた」、そしてときに官能的な瞬間も垣間みせる。

訳者は物語に出てくる土地を訪ねて、そこの風景を写真に撮ったそうだ。数葉がこの文庫に掲載されている。衒いのないスナップ写真がかえって、小説の雰囲気に自然ととけ込んでいるよう。あとがきも作家への敬愛ぶりが感じられる。

(*) このようなことを言い出すと本当に切りがなくて、そういえばサティがある年に子どものためのピアノ曲を集中的に書いて、題名に« enfantin »とか« enfantillage »などの言葉を付けている、いったことも思い浮かぶ。

〔収録篇〕
  • ローズ・ルルダン Rose Lourdin
  • 包丁 Le couperet
  • 《顔》との一時間 L'heure avec la figure
  • ドリー Dolly
  • 偉大な時代 La grande époque
  • ラシェル・フリュティジェール Rachel Frutiger
  • 夏休みの宿題 Devoirs de vacances
  • 十四歳のエリアーヌの肖像 Portrait d'Éliane à quatorze ans
  • ひとりぼっちのグウェニー(補遺1) Gwenny-toute-seule
  • 平和と救い(補遺2) La Paix et le Salut 
〔同じ作家の作品〕
***

苦しみがつづいているあいだ、ずっとこう考えていました ─ こんなことなんでもない。他の苦しみが消え去ったように、これだっていつかは消えるはずなんだわ。いまこの瞬間にも、わたしよりもっとずっと不幸な人がいるんだし、だいいちわたしだっていつかは死ぬんだから...... でもわたしは、じっとこらえた涙の味が好きでした。仮面のような顔の裏側を通って、目から心臓に落ちていくように思えるあの涙の味が好きでした。一日の旅の途中で出会った泉のようでした。 (p.11)

わたしは薔薇色の夕陽に照らされて暑くなっていたガラス張りの廊下を歩いていました。胸がずっしりと重かったので足を速め、あえぎながら「愛してる(ジュ・テーム Je t'aime. )」とささやきました。そのときを境に、この世にひとつの大きな秘密が生まれたのでした。わたしの秘密が。 (p.13)

彼女をいちばん身近に感じるのは、姿の見えないときでした。(p.21)
(第一篇《ローズ・ルルダン》より)

なぜなのかよくわからないが、その包丁と新しく来た羊飼いとの関係にママが気づくのではないかと心配になって、ミルーはおとなしくする。そして計画した「お話」を作ることに気持を集中する。

しかしフランス語のすべての単語が隊列を組み、そこで道を塞いでいるかのようだ。彼は勇気をふるってそれらの単語に向かって突進し、一列目に並んでいる二つか三つの単語、自分でもよく知っている単語に攻撃する。しかしそれらの単語さえ彼を押し戻す。そして単語の軍勢全体が彼を取り囲んでじっと動かず、深々と、しかも城壁のように高々と聳え(そびえ)ている。最後の突撃を試みる。

ほんの百ほどの単語の主人になって、自分が言わなければならないあのとても大切なことを、なにがなんでも言わなければ! 最後の努力が彼の精神を緊張させる。精神はふくれあがり、いまにも破裂せんばかりだ。まるで、絶望的に硬直して痛みさえ感じさせる筋肉のようだ...... 突然降参した彼は計画をあきらめる。圧しひしがれ、吐き気さえ襲われて、果てしない虚無感が彼のなかに広がる。 (p.53)
(第二篇《包丁》より)

まれにしか見かけぬ言葉、夢に浸された言葉、たとえばある道具の各部分の名前のように、きわめて正確に事物を指し示す言葉、天候を表現するための言葉、あるいは帆柱(マチュール mâture )とか帆(ヴォワリュール voilure )とか、ある種の事物全体を表現するための言葉など、ぼくはそれらの言葉を収集したのだった。「これを覚えておくといい」と思い、胸のなかに貯め込んでいた。ところがいまこそ必要だというのに、彼らは身をかわす...... (p.224) 

ぼくらの年齢では、どんな子供も醜く不愉快なものだ。ぼく自身それはよくわかっている。それは大人たちの言う《不快な年頃(ラージュ・アングラ l'âge ingrat )》(思春期の意)なのだ。もっとも固い殻に閉じこもり、もっとも虚栄心が強く、もっとも愚かな年頃だ。そして幼年期(アンファンス enfance )の魅力がぼくらを見捨てていく年頃だ。(p.225)
(第七篇《夏休みの宿題》より)

エリアーヌは実際に存在する誰かのことを考えている。彼女はひとりの恋人、何人かの恋人、無数の情人(アマン amants )をもっている。いつも少しぼかしがかったような恋人、ひとつの理想。しかしまた自分と同じ町に住む若者たちのなかから選ばれた他の恋人たちもいる。(p.245) 

リュシアンがすぐそばを通る。そこで彼女は大急ぎでつけ加える ─ やはり弟に話しかけるふりをしながら、しかし実はリュシアンのためだけに ─ 本を読んだあの言葉、かぎりなく響き高いあの言葉を ─ 「大好きよ(ジュ・テーム Je t'aime. )」彼女の声は恐れに締めつけられ、圧しつぶされている。この告白、生まれてはじめての告白の感動のあまり、その声は深くこもっている!(p.255)
(第八篇《十四歳のエリアーヌの肖像》より)

ヴァレリー・ラルボー『幼なごころ』岩崎力訳 (岩波文庫)
Valery Larbaud, Enfantines (1918)

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