独自の世界観をみせるデュラスが、実際に起こった出来事にもとづいて、それも事実要素を多く含めながら描くと、ふだん読み慣れている作品とは異なった印象に包まれる。その一方で、物語自体は換骨奪胎されており、その書き方(エクリチュール)はやはりデュラスだなあ、とも改めて感じる。おそらく、デュラス作品のなかでは読みやすいほうで、サスペンス小説としても楽しめると思う。
ノンフィクションやドキュメンタリーな作風からは遠いと思われる作家が、まるで強迫観念に囚われたかのように、このような作品を執筆した動機は何だったのだろう。そういった事実、あるいはそれを引き起こした人物、社会的には犯罪者に堕した人々に対して、抗しがたい強烈な共感のようなものをおぼえたのだろうか? カポーティの『冷血』や三島由紀夫の『金閣寺』を読んだときにも、似た感想を抱いた。
〔余談〕
デュラスははじめ、同じ事件を下敷きに『セーヌ・エ・オワーズの陸橋』という戯曲を1960年に制作した後に、小説として本作を作り直している。1967年に執筆、翌年には改めて戯曲化されている。原題の直訳は『イギリス人の恋人 L'Amante anglaise』。タイトルの由来は、小説のなかで判明する。
〔参考〕
- (人物事典)マルグリット・デュラス in Sibaccio Notes
- Duras et la folie d'Amélie Rabilloud in France Culture (仏語)
- 1950 Press Photo Murderer Amelie Rabilloud in Historic Images (英語)
マルグリット・デュラス『ヴィオルヌの犯罪』田中倫郎訳 (河出文庫)
Marguerite Duras, L'Amante anglaise, 1968
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