2024/10/27

ラ・ロシュフコー『マクシム』 (5)

〜ぶる 

偽装、虚栄、高慢、嫉妬など、ラ・ロシュフコーは人間のありとあらゆるネガティブな性質を槍玉に挙げる。それは、本来の自分を見失った人間「倒置の民」(本末顛倒した人)に対する警告にもみえる。

さて、これらの心情・振る舞いほど強いものではないが、「〜ぶる」というような自己演出、わざとらしさ affectation もまた、誠実・率直であることを旨とするラ・ロシュフコーの眼には糾弾すべき振る舞いとして映る。本来の自分を秘し匿そうとする行い、つまり『格言集』のエピグラフにもあるような、偽装 déguisement の第一歩だからだろう(*1)

人は決して、その持って生まれた特質によって、そうひどくこっけいに見えるものではない。かえって持ちもせぬ特質をさも持っているかのようなふりをする者こそ、はるかにおかしい。(格言134)

きれいに・可愛く見られたいとか、格好良くありたいといった願望は誰もが持つもので、それ自体は決して間違ってはいないけれど、過度に追い求めてしまうと、こっけいでおかしな具合 ridicule になる。誰かに憧れ、その人のようになりたいと望んで必死に真似してみたものの、長所よりも短所のほうがさらけ出されてしまい、得てして笑いもの、リディキュールになる。「けっこうな模写といえばただ一つ、まずい原画のこっけいなところをそのまま見せてくれるものだけである。」(格言133)

だからといって、自然に振る舞おうとすることも、かえってわざとらしく「〜ぶる」になりがちだ。

自然に見えたがる心ほど自然であることを妨げるものはない。(格言431)

強がったり気取ったり偉そうにしたり、自分の欠点を隠してあたかも自然であるように振る舞おうとしても、心内の感情にそぐわない態度はちぐはぐに見られてしまう。ラ・ロシュフコーは「大多数の若者たちはそのぶしつけと無作法とを天真らんまんのつもりでいる(格言372)」とも吐いているが、これも自然を装った「〜ぶる」行為だろう。ちなみに、いかにも穏やかに親切に振る舞っているようで心のなかでは悪意に満ちているとか、嫉妬や怒りに燃えているのに気取らせないようにするとか、眼の前の出来事に動揺しているのに平静を装うのも、これの一種だろうか。思うに、「俺は気取らない性格だ」とか「私は飾らない人間だ」などと、わざわざ公言するような人にも、注意が必要だろう。

その一方でラ・ロシュフコーは「どんな欠点も、それをかくそうとして用いる手段にくらべたら、どれも大目に見てやらざるをえない(格言411)」とも述べる。誰にでも欠点はあるし、むしろ人間は欠点だらけであることのほうが当たり前である。強がったり気取ったり偉そうにするのは、内心にある弱さや怖れのためにほかならず、私たちは誰でも、そういったものを常に抱えて生きている。問題は、そのことを嘘偽りで隠そうとすることであったり、他人など自分の外側にあるものに責任を転嫁して自分自身を欺くことのほうなのだ。

Maître du Ballet royal de la nuit, costume pour le Soleil levant, dansé par Louis XIV, 1653
Bibliothèque nationale de France

***


とはいうものの、他人に大勢囲まれて生きなければならない私たちにとって、なにもふりをせずにこの社会生活を送ることは至難の業である。何かの職業についているあいだはとくに、私たちは何らかの役割を演じている。

あらゆる職業において、人はそれぞれ、こう見えたいと思うような姿かたちをよそおう。だから、世間はただいろいろな姿かたちばかりでできていると言うことができる。(格言256)

どんなに私たちは欠点だらけであろうと、それをやたらとさらけ出してしまうようでは信用問題にかかわるから、職業という仮面の下に隠さなければならない。それは仕方のないことかもしれない。しかし、ラ・ロシュフコーも読書を通じて私淑していたモンテーニュは、次のように述べている。

我々の職業の大部分はいわば狂言である。(...) 我々はまじめに自分の役割を演じなければならないけれども、やはりある人物に扮しているのだということは忘れるべきでない。仮面や外観を以て真の本質としてはならない。他人のものを以て自分のものとしてはならない。我々は皮膚とシャツとを区別することができない。

(『モンテーニュ随想録』第3巻第10章より) 

仕事一辺倒で行くというのは、いわばこの狂言・仮面劇をずっと演じ続けなければならないことになる。だが、それが長くなればなるほど、本来の自分「真の本質」と乖離していってしまうおそれがあるのではないか。

ところで、「〜ぶる」という行為は、自分を実際よりも良く見せるためではなく、他人から傷つけられないように自分を守るためにする場合もあるかもしれない。相手になめられないように強がり、標的にされないように卑下することで、自分ではない何かのふりをする。そうやって自己防衛に努めようとする。しかし、これも度が過ぎて偽装の段階にまで至ってしまうと、やはり自分自身を見失う危険がないだろうか。「われわれはあまりにも他人の前に自分を偽装するのに慣れているので、しまいには自分の前にまで自分を偽装するようになる。(格言119)」

仕事のためだからと、あるいは自己防衛のためにと思い込むあまり、本来の自分ではない何かのふりをし続けるよりも、何事にも虚心坦懐に向き合うよう志すほうが、かえって世の中と渡り合い、折り合いをつけやすくなるということはないだろうか。

われわれはうその自分を見せようとつとめるより、ありのままの自分を見せるほうがずっと得であろう。(格言457)

そのためには、他人とかかわることが生活の大半を占めるなかで、本来の自分を取り戻す時間が常に必要だ(*2)。そうでないと、 私たちは荘子の言うところの「倒置の民」、自分の外側にある物事ばかりに気を取られて、自分自身を見失いかねない。


(*1) 「われわれの徳行はもっともしばしば偽装した不徳にすぎない。」

(*2) モンテーニュは、社会生活を送るなかで、そこから一旦離れて、自分自身の内面と向き合うことが常に必要であり、そういう場所(=機会)を「全く我々の・全く自由独立の・そこに我々のまことの自由と本当の隠遁孤独とを打ちたてるべき・裏座敷 arrière-boutique」と述べている。(『モンテーニュ随想録』第1巻第39章「孤独について」)


(前回)ラ・ロシュフコー『マクシム』 (4)

〔画像〕太陽神アポロンに扮するルイ14世。

〔参考〕

 

『ラ・ロシュフコー格言集』関根秀雄訳(白水社)
François de La Rochefoucauld, Réflexions ou sentences et maximes morales, 1665

2023/10/17

シムノン『罰せられざる罪』

(小説のイントロダクション)
1926年、日に日に寒さが厳しくなる時季のリエージュ。この町の大学に通う留学生エリ・ヴァスコヴは、ランジュ夫人の家に下宿している。ランジュ夫人は戦争で夫をなくし、娘のルイーズと二人きりだが、生活のためにエリをはじめ外国人の学生を家に受け入れている。エリは下宿代を安くしてもらう代わりにランジュ夫人の家事を手伝ったりするものの、夫人との会話はいつも素っ気なく、できるだけ人との関わりを避けているように見える。ほかの下宿人と親しく交わろうとすることもない。

だが、ランジュ夫人の家の台所は、いつもストーヴの火が燃えており、彼にとって何よりもの「隅っこ coin」、唯一安らぎを与えてくれる居場所であった。エリの孤独な振る舞いに眉をひそめつつも彼のことを家族のように気にかける夫人、そして彼の醜い容貌(本人はそう思い込んでいる)にも嫌悪することなく接してくれるルイーズ。

出身地ヴィルナ(ヴィリニュス、現在のリトアニアの首都)はリエージュよりも寒さが厳しく、また兄弟姉妹の多い貧しい家庭のなかで、温かい場所もなく母親の愛情を感じることもなく育ったエリにとって、夕食後の彼女たちのいる台所で、会話もほとんど交わされることなく静かに過ごす一時は、これからも毎日訪れてほしいと願うほどに大切であった。

だが、そんなささやかな、誰にも気づかれないひそかな幸せは、金持ちのルーマニア人留学生ミシェル・ゾグラフィがこの家にやってきたことで失われようとしていた......

オランダ語版の表紙(ディック・ブルーナによる装丁)

***

リエージュは作者の生まれ育った町。シムノンの家では外国から来た学生を多く下宿させていたという。もしかしたら、その中には実際にエリ Elie という名前で、ヴィルナ出身のユダヤ系ポーランド人がいたのかもしれない。エリがつかの間の温もりを感じる場面、心理描写は、故郷を離れて孤独に学業に励む学生たちの姿に共感したものなのか、あるいは母との間でわだかまりがあった作者自身の心情を反映したものなのか。

本作は大きく二部に分かれている。1926年のリエージュと、26年後の米国アリゾナ州に位置する架空の鉱山町。寒さの厳しいヨーロッパの冬と、砂漠の町の夏。主人公エリ自身もリエージュ時代とアリゾナに来てからでは、随分と外見や心持ちが変わる。しかし、ある出来事をきっかけに、エリの心中は1926年のリエージュに連れ戻される。しかも彼は、それがいつか起こり得ると心のどこかで予期していたようだ。だが、その結末は果たして、彼が漠然と抱いていたイメージのとおりに進むのだろうか?......


ジョルジュ・シムノン『罰せられざる罪』
Georges Simenon, Crime impuni, 1954

2023/09/23

フランソワーズ・エリチエ『人生の塩』

生涯かけて猛烈に集めた宝物、彼の人生の塩だったもの、すなわち書物とか道具とか絵画とか......(ヴェルコール) 

あなたのおうちは、戸や窓が破れるほど「幸福」でいっぱいじゃありませんか。(メーテルリンク・堀口大學訳) 


人生の塩。あまり馴染みのない言い方なので辞書で調べてみると、フランス語の「塩 sel 」には「ぴりっとした味わい、面白み」「機知」といった意味もある。« Ce qui donne du piquant, de l'intérêt. » ラテン語には「友情は人生の塩 Amicitia sal vitae」という表現もあった。卑近に「人生のスパイス」と解釈してよいかもしれない。

普段の暮らしのなかの些細な出来事や感じたこと、取るに足りないはずなのにいつまでも心に残っているようなこと、とくに印象深かったわけではないのに突然思い出されるようなこと...... 著者エリチエはそういったものこそが人生の塩であると気づき、ここにひたすら(むしろしつこいまでに!)書き出している。「わたしとしては、一番いいものだけを記憶にとどめたのではないし、一番ひどいものだけをそうしたわけでもない。残ることのできたものが残ったのだ。」(ポール・ヴァレリー『ムッシュー・テスト』清水徹訳)

裸足で歩く、
うっかり肘をぶつけてビリっとする、
してはいけないとわかっていて頁の端に折り目をつける、
こちらに気づいていない猫を上から観察する、
鳥が騙されるほど身動きせずにじっとしている、
すごい量の食器を洗い終える、
シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『第二の性』を「女にしてはよく書けている」と言った無神経な間抜け男に我を忘れて、一言のもとにその男の無能さを思い知らせてやった、
私には何も理解できなかった発表を聞いた後、クロード・レヴィ=ストロースからいきなり何か言うことはあるかと問われた日(昔のこと)、その場で死にたいと思った、
ものごとの移ろいやすさに気づき一瞬一瞬を大切にしなければならないと思う、
......

書き出されたもの一つ一つが幸福の種粒であり、ときにはしんみりとさせるものもあり、共感を呼ぶものが多い。ユーモアのセンスに溢れた人柄だけでなく、レヴィ=ストロースの後継者、あるいはフェミニストとしての側面もちらりと見える。SNSなどでときどき見かける面白いつぶやき、文脈の理解なしにウフッとなれる一言も、こんなふうに塩が効いている。

何か計画や目的があるわけではない。小説あるいは小説のような何かを作り上げたいと思って書き溜めたわけでもなく、ごくありふれた認識や行為の積み重ねに人間活動の壮大な戦略を組み立てようとしているわけでもない。振り返ってみること自体が、そういった種粒を文字にする行為そのものが、喜びや幸せをもたらしてくれるのだと伝えているよう。「まるで麻薬みたいです。やめられません。」

そもそも幸福とは、そういうものなのかもしれない。私も真似してみよう。


〔参考〕


フランソワーズ・エリチエ『人生の塩』
井上たか子・石田久仁子訳(明石書店)
Françoise Héritier, « Le sel de la vie », 2012

2023/09/09

シムノン『妻は二度死ぬ』

シムノンが最後に書いた「運命の小説」。

(小説のイントロダクション)
宝飾デザイナーのジョルジュ・セルランはアトリエで仕事をしているときに警察官の訪問を受ける。妻のアネットが交通事故に遭い亡くなったという報せであった。アネットと結婚してからの二十年間、好きな仕事で成功し愛する家族をもち幸せに暮らしていたはずのセルランは、突然の事態に際限のない悲しみにくれる。妻の面影を追い続けるなか、セルランはふと、自分はまちがいなくアネットを愛し幸せだったが、彼女のほうはセルランを愛していたのだろうか、彼と家庭を築いて本当に幸せだったのだろうか、という疑問が湧く。これまで思い出すことのなかった過去の出来事がさまざまに脳裡をかすめ、その疑念はますます増幅する。「ひとつの思いが......、二十年もいっしょに暮らしていながら、アネットのことが何もわかっていなかった......、その思いが鋭くセルランの胸をえぐりはじめる。」 やがて、それまで目を背けていた事実──アネットはなぜそんな場所にいたのか、普段行くはずもないところでトラックに轢かれたのか──に、セルランは向き合うことになる。

***

日々の暮らしにすっかり馴染んでしまうと、夫であれ妻であれ、パートナーについて改めて考えることなど億劫になってしまう。けれども、何かふとしたきっかけで今まで知らなかった側面を知り、突如相手が別人にみえたりすることはないだろうか? そのような時、長年付き添っているにもかかわらず、パートナーほど不可解な存在はないのではないか。セルランを襲った出来事は、殺人などよりよっぽど、実際の生活のなかで誰もが遭遇しそうな事態かもしれない。

原題の «Les Innocents» は、辞書の通りに訳せば「無実の人々」「純真無垢な人々」「お人好しども」などになる。セルラン一人であれば、確かに彼はお人好しだったかもしれないが、タイトルでは複数形になっている。セルランとアネットの子供たちも含まれるのかもしれない。秘密を何も知らなかった人々、という解釈でよいだろうか?

もし途中の第5章で物語が終わっていたとしたら、謎は解明されないままでも、セルランは最愛の人の喪失から立ち直り、人生を再び歩み直せたかもしれない。妻が二度死んだという現実など知らずに過ごせたかもしれない。

***

1972年2月に本作が出版され、同年7月に『メグレ最後の事件』(メグレとシャルル氏)を出した後、シムノンは小説の執筆をやめてしまう。

〔参考〕


ジョルジュ・シムノン『妻は二度死ぬ』中井多津夫訳(晶文社)
Georges Simenon, Les Innocents, 1972

2023/08/12

シムノン『ちびっこ三人のいる通り』

 «La Rue aux trois poussins» (仮に「ちびっこ三人のいる通り」としてみた)はシムノンが書いた短篇の一つ。第2次世界大戦中の1941年に «Gringoire» という週刊新聞に掲載された後、1963年に同作を表題にした短篇集に収録、出版された。

物語の冒頭、陽の光がまばゆく感じられる午前中、三人の小さい子どもが道端にしゃがみこんで遊んでいる様子が描かれる。「頭を下げ、お尻は空のほうにつきだし、脚を開いている。三羽のひよこが餌をついばんでいるよう。」歩道の水浸しになった敷石の隙間をほじくり返し、どうやら大運河の建設工事にいそしんでいるらしい。ところが、そのうちの一人ビロに、不気味な影が射して......

無邪気な子どもの一言が状況を一変させる、取り返しのつかない事態に追い込むといった話はほかの小説にもありそうだが、そこはやはりシムノン。衝撃的な破局とまではいかないまでも、陽射しが眩しいと感じていたのに急に翳り、そのうち雨が降り出してくるといったような展開を予感させる。

〔収録篇〕

  • 「ちびっこ三人のいる通り」La Rue aux trois poussins 
  • 「《聖アントワーヌ号》の喜劇」Le Comique du « Saint-Antoine » 
  • 「メリーの夫」Le Mari de Mélie 
  • 「ヴァスコ号の船長」Le Capitaine du Vasco 
  • 「無愛想者の犯罪」Le Crime du Malgracieux 
  • 「キルケネスの医師」Le Docteur de Kirkenes 
  • 「オランダ人の足取り」La Piste du Hollandais 
  • 「《雌牛のしっぽ》農場の未婚姉妹」Les Demoiselles de Queue-de-Vache 
  • 「三度の赦祷を行なった朝」Le Matin des trois absoutes (*1)
  • 「《鏡付き衣装棚》号の沈没」Le Naufrage de « l’Armoire à glace » 
  • 「両手いっぱい」Les Mains pleines 
  • 「ニコラ」Nicolas 
  • 「アネットとブロンド髪の婦人」Annette et la Dame blonde 
  • 「フォンシーヌの喪」Le Deuil de Fonsine (*2)

(*1) 初出時の題名は「児童聖歌隊員の自転車」Le vélo de l'enfant de chœur 。
(*2) 短篇集『メグレとしっぽのない小豚』にも収録。


ジョルジュ・シムノン「ちびっこ三人のいる通り」
(短篇集『ちびっこ三人のいる通り』所収)
Georges Simenon, La rue aux trois poussins, 1963