明日、午後五時、占い師を殺す。署名:ピクピュス。
8月、暑い盛りのある日、不動産会社に勤務するジョゼフ・マスクヴァンという男が、カフェでこの殺人予告を見つけたという。しかも彼は会社の金を横領したと警察に出頭してきたのである。
ピクピュスとは誰か? どの占い師のことか? 起こりそうもなく動機も見当たらないこの犯罪は何のためなのか? 馬鹿げていると思われるものの、メグレは敢えてパリ市中を警戒させる。彼は、きっと殺人が起こるだろうと予期するにいたる。実際、それは発生する。マドモアゼル・ジャンヌなる占い師が、自宅の私室で短刀で刺殺されたのだ。そして部屋の隣には鍵のかかった台所があり、そこにはこのような季節に外套を着た老人が、椅子に静かに座ったまま、閉じ込められていた。その老人、オクターヴ・ル・クロアゲンはただじっと待っている。彼は犯罪について何も見なかったようだが、事件のことを知りひっそりと涙する…(*1)
(*1) 原語版ペーパーバックの作品紹介文に少し脚色をして書いた。
例に漏れず、この犯罪にも金銭が絡んでくるのだが、次のような台詞を吐くほどに、メグレの目には異常な事態として映る。「それでもやはり、私の刑事生活のなかで、金への執着がこれほど極限までに押し進められ、これほど卑劣な振る舞いに及んだのを目の当たりにしたのは、今回が初めてです…」そして、一見突拍子もない物語設定には喜劇的な様相が幾分見られるものの、根底には救いがたい人間の業による悲劇もまた潜んでいる。これをつぶさに観察してきたメグレは呆れ、憤慨し、憐れむのだった。「愚かすぎる! まったく誰も彼も愚かすぎる… (…) とはいえ、彼らがそれほど愚かでなかったら、警察など要らないだろうが…」
犯罪の裏には、殺人に至る直接的な動機と、そもそもそれを惹き起こした事実とがある。小説の後半、まず最初に後者、隠された事実については、関係者が一堂に会してその真実が明るみに出るのだが(いわばミステリー小説の常套)、前者、つまりなぜ殺人が起こったのかについては、そのような場は設けられない。読者の眼前には、タクシーの後部座席に沈み込んで目を瞑っているメグレの姿がある。彼の心中の想像なのかそれとも回想なのかがはっきりしない形で、事件の経緯が語られるのである。このような表現の仕方は、小説だからこそ効果が出るのではないかと思う(*2)。
(*2) 翻案のテレビドラマ(ジャン・リシャール主演版、ブリュノ・クレメール主演版)では、いずれもメグレが実際に誰かしらと会話するなかで、殺人事件の全容が明らかになる。翻ってみれば、そのあたりの工夫具合がドラマならではの楽しみとも言える。
- ピクピュス Picpus はパリ南東(12区)にある地区 quartier の名称。ヴァンセンヌの森に隣接している。小説の筋にはほとんど関係がない。
- 1941年6月、フランス西部大西洋岸沿い、ヴァンデ地方のフォントネー=ル=コントにあるテール=ヌーヴ城館で執筆(シムノンはこのシャトーに1940年から2年ほど居を構えていた)。
- 初出:日刊紙「パリ・ソワール」に1941年12月11日から翌1月21日まで、『署名ピクピュス、もしくはメグレの激怒』のタイトルで連載。
- 初版:1944年ガリマール書店より。1944年1月5日印刷。
- 発行:『署名ピクピュス』のタイトルで、本作と『死体刑事』『フェリシーはそこにいる』『異国風短編集』を含んだ作品集として刊行。
- メグレ警視シリーズ完読計画 in Sibaccio Notes
- (人物事典)ジョルジュ・シムノン in Sibaccio Notes
〔同じ作家の作品〕
ジョルジュ・シムノン『メグレと謎のピクピュス』長島良三訳
(光文社「EQ」1983年7月号)
Georges Simenon, Signé Picpus, Gallimard, 1944
2 件のコメント:
Sibaccioさん、メグレ作品の魅力がたっぷりの書評、お見事です。すぐにでも読んでみたくなりました。それと、Twitterで拙ブログの紹介をしていただき、ありがとうございます。
原作を読みながら並行してVideoを見ると、字幕なしでも何とかわかるようになるのがうれしいです。
cogeleauさん、どうもありがとうございます。なんだかたいへん恐縮です... この作品を読むのに合わせて、はじめてジャン・リシャール版のドラマを観ました。重量感や雰囲気はクレメールのほうがそれらしいですが、リシャールのメグレも悪くないなと思いました。
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