2020/07/04

コクトー『恐るべき子供たち』

肱掛椅子のうしろに立って眺めると、客間は見知らぬ部屋に変わり、降る雪のせいで宙に浮かんでいるように見えた。向かい側の歩道に立つ街灯の輝きが、天井に濃い影と薄い影の窓を開き、光のレースを広げ、その唐草模様の上で、実物よりも小さな通行人の影が動きまわっていた。(p.63)
サキコは呆然とした。『恐るべき子供たち』が彼女を震撼させたのはまちがいない。これほどまでに心をわしづかみにされた作品は、久しく読んだことがなかった。だから、その理由を少しでも解明したいと望み、彼女は筆をとった。だが、思考がイマジネール(*)のままというのか、想像が塊の状態のままに止まるのを感じる。何か言葉がぽつぽつと現れても、その連なりが見いだせず、それらの言葉もまもなく霧散していく。語りたいという感情だけが先走り、語ることができない。……わたしには語る力がないのか、それとも、語りうるものがないのか…… 
(*) イマジネール imaginaire :フランス語の形容詞で「想像上の、架空の、非現実的な」、名詞化すると「想像力の産物」とかジャック・ラカンの言うところの「想像界」など。「想像界」の意味は全く理解していないけれど、ロラン・バルトが(サルトルの影響を受けて)、ある心象が言語化されていない状態を指し示す語として、これを用いていた覚えがある。

裸形の小説…… 脳裡にようやく浮かんだのは、そんな言葉だった。『恐るべき子供たち』は裸の、白い小説だ。しかし、これはきっと心底考え抜いたすえの表現ではないだろう。なぜなら、『恐るべき子供たち』を読みながら、彼女の耳にはエリック・サティが描くような音楽が遠く鳴り響いていたのだから。コクトーからサティへ。小説の外で、二つの名前が安易に結びついてしまったのだと思う。

それにしてもあの音楽は?… 『ジムノペディ』『グノシェンヌ』… 馴染みのあるピアノ曲にはどれも似ていなかった… もっと静かで淡々とした、いっそう透明で、親密なるものに保留を付けるような… 彼女自身奇妙に覚えたのだが、それはむしろ『ソクラテス』がより近いように感じた。仏訳によるプラトンの対話篇にもとづく交響楽のドラマ、永遠の鳴り響きを錯覚させる、楽譜上ではサティ最長の楽曲…

感動の謎はいっそう、迷宮の奥深くへとのがれてゆく。サキコはため息をもらした。


〔参考〕
  • (人物事典)ジャン・コクトー in Sibaccio Notes
  • オルネラ・ヴォルタ『サティとコクトー―理解の誤解』大谷千正訳(新評論)
  • 渡辺諒『フランス現代思想を読む』(白水社)
〔同じ作家の作品〕
〔サキコのモノローグ〕

ジャン・コクトー『恐るべき子供たち』中条省平・中条志穂訳(光文社古典新訳文庫)
Jean Cocteau, Les enfants terribles, 1929

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